死別体験を隠すのか、オープンにするのか。

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<この記事を書いた人>

親戚が来たので、お寿司を頂きました。やっぱりお寿司は幸せにしてくれます。日本人でよかったー!
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しんどい質問

死別当初の私は、夫のことを人に言うことに、どうしてもどうしても抵抗がありました。

旦那さんか何をしているの?と言う些細な質問。

子供を連れているのだから、夫が死別してるなんて、相手は想像もしていないわけです(当時私の子供たちは3歳と0歳ですから)。

だから、何も考えずさらっと聞いてくる。

悪気もないし悪意もなくて、それこそ「今日はいいお天気ですね」位の感覚なのでしょうね。

でも、それを聞かれること、答えることがとてもストレスで、当時は人を避けていたように思います。

今は平気。

私は「死別シングルマザーの田中真弓」であって、それは切っても切り離せないものとなりました。

だから、それに戸惑う人は離れて行くし、自然に受け入れる人は今でもお付き合いをしていたります。

「(自分の状況を)答えたくないから、人との深い付き合いをしていない」

とある人が言いました。

死別歴は同じ。

その方はご兄弟を亡くされたから、関係性が違って何とも言えません。

その人はそう言う生き方をしていくと決めているのだろうから、それはそれでいいのです。

ただ、私の場合はオープンにできているから、とても楽なんだと思えたんです。

深い付き合いとは?

私の場合は何も考えずに思ったことを言える関係性かな。

少なからず今は「死別シングルマザー田中真弓」それごと知っているし、受け入れる人たちのと関係です。

こちらが堂々としていれば、案外相手も突っ込んでこないもの。

自分の状況を言いたいけれど言えない人は、もしかしたら「言い慣れていない」それだけなのかも知れません。

私は、カウンセリングを渡り歩いたし、「話す」ことにお金と時間をかけてきました。

安心して話せる場と時間を買っていたのですね。

「死別会」はそう言う場でありたいと思って始めました。

抱えている気持ち、抱えている自分の経験を、同じ経験者の中で安心して吐き出す。

それと同時に、1対1のカウンセリングとは違い、自分以外の人の経験を聞くことができる。

自分だけが辛いと言うわけじゃない、自分だけが頑張っているわけじゃない。

そして何より、人生は一つとして同じものはなく、自分の人生を含め、それぞれを尊重すべき大切なものであると体感できる場だと自負しています。

まだ1回のみの開催ですが、そう言う未来になると思います。

そして、この場で繰り返し自分の話をします。

「言い慣れる」ことで、この場以外でも、さらっと言えるようになったら、とても楽なんじゃないかなと思います。

ぜひ、死別会に参加してみてください。

嫌なら、やめれば良いだけだから(笑)。

 

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