大丈夫!大丈夫!

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<この記事を書いた人>

子供たちの給食が始まりました。パンと牛乳、少しの果物。帰ってくる時私のランチタイムとぶつかります。少し食べる?と聞いても、大丈夫、お腹いっぱいだし。って、自粛中は動かないのにすごく食べてたのに…?学校が楽しくて、胸がいっぱいなのかしら。

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大丈夫、大丈夫。

本当に大丈夫だから!

と思う日々。

コメントを頂いたり、メッセージを頂いたり、それこそオンラインでお会いした時に、私はいつも心の中で叫んでいます。

なんでしょうこの自信(笑)。

私は、きっとあなたにお会いしたら、絶対に大丈夫と思うのです。

 

もしそう思うのが難しいと感じるなら、もっともっと深い部分で、「許せない」自分を「許していない」ことなのかもしれません。

そうやって、誰かを許せないで生きていくのって、とても心が疲弊します。

 

許せないというのは、ただ、自分の「正義」をどうしても手放せなくて、その自分の「正義」の基準を、人にも当てはめようとしているだけなのではないかなと思うのです。

多分、許せない相手にも、その人なりの「正義」があって、それを守っているんですよね。

だからって、どちらが正しいのかを比べることではないでしょう?

そこで戦ってしまうと、お互い多分とっても傷つき、そして正解は出ない。

私は、夫が突然亡くなってしまって、こんな自分の人生が許せなかった。

もう自分の人生は、カビが生えたような人生のような気がしていました。

私の人生、なんなんだ。

私が何したっていうの?

ただ、私は私の正義に沿って生きてきただけなのに、何が間違っていたの?

って。

私の正義を守るために、周りに原因を探していました。

でも、話せば話すほど、「自分」なんだと気が付いたんですよね。

それが行き過ぎると、自分を過剰な自己責任に押しつぶされてしまうので、ちょっと注意ですけどね。

自分の正義、つまり大切にしているものは大切にすれば良くて、他の人の正義はそれをむしろ尊重してしまう。

そう思えたら、少しずつ許せる余白ができてきたんですよ。

そうやって、肩の力を抜いて行けば自分の見える世界が変わるから。

だから、大丈夫って思ってます。

 

カビの生えかけていた私がなんとなかったんだから!って。

そして、いつかブログサーフィンから卒業できる日がきます。

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