コロナになって考えた

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<この記事を書いた人>

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コロナ陽性になりました

7月11日久しぶりに高熱が出ました。

3日目にやっと口にできた固形物。食べ切るのにすごい時間を要しました。

朝、大量の汗をかき、目覚めた私は「今日なんて暑い日なんだ」と思いました。

実際はそうではなく、自分が高熱を出していたからでした。

発熱外来にすぐに申し込みましたが、診察は午後になるほど混み合っていました。

いつもの風邪だと鷹を括っていましたが、数分でコロナ陽性と判明。

39度ほどの熱と強烈な喉の痛み。

久しぶりの高熱で頭が朦朧となりながらも、これから何をしなきゃいけないか?頭がフル回転。

自分で決めることも板についてきたなと思います。

周りの人への感謝

友達が送ってきてくれた冷食。

こんな時に限って、スケジュールがてんこ盛り。

熱があろうとなかろうと、そこはやるしかないので、至る所にスケジュールの変更をお願いしました。

コロナ経験している人から、アドバイスをいただいたり、食料を送ってもらったり、届けけてもらったり、本当に感謝でした。

こう言う時に人の暖かさを感じます。

あと、経験している人は親身になってくれるように思います。

死別もそうですが、自分が経験していると親身になってくれる濃さが違うように思います。

回復しつつある今、たくさんの優しさを経験できたことが何よりも深い学びになりました。

私も、必ずこの経験の恩送りをしたいと思いました。

一人で育てていても協力してくれる人は必ず現れてくれます。

それはいつもいつも思うこと。本当に感謝ですね。

子供達の自立を促す

 

病院で、自宅療養か?ホテルか?という選択を求められ、即座に自宅を選びました。

ひとり親だしホテルの選択肢はないと即決。

ただ私にも「ホテルで療養」という選択肢があると言うことを知りました。

子供たちには

万が一私がこれ以上悪くなった場合ホテルに行く可能性もゼロじゃない(行くつもりはないけど)。それを踏まえて、自分たちのことを自分たちでできるようにしてください

とプレッシャーをかけました。

中2と小6の彼らなりに状況は把握したようで、その日から自分たちでご飯を作ってみたり洗濯をしたり、いつもはしないような家事をやるようになっています。

やっぱり切羽詰まると人はやるものですね。

父親がいなくても、母である私一人で全部を担うことなく、なるべく同志として子供と分担するようにしてきました。

その結果子供も、あたふたせずに「いつもより少し挑戦」くらいの感覚でこの環境を過ごしているようです。

きちんと成長してくれています。

生きたいという想い

調子が悪いと回復したいと思います。

早く良くならないかな、いつよくなるのだろう?そんなことばかりを考えていました。

やっぱり人間は生きようとする生き物なんだなと実感。

こうして強制的に立ち止まった時に、今までの自分を省みると同時に、回復した後の生活を想いめぐらせたりもします。

人は前に進んでいこうとするのだと、こういう時に強く思います。

だから、辛くても進んで来られたのだと思います。

辛いのは、幸せになりたいから。

辛いのは幸せだったことを知っているから。

健康もそうですね。

死別シングルマザーとしてコロナを経験し、死別した時から今までの経験は共通していることがたくさんあるなと気がつきました。

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