もうすぐ長男の誕生日
母が長男の誕生日お祝いしようと声をかけてくれ、レストランでお祝いしてきました。
長男の好きな神戸屋キッチンで、彼はメインを2つとパンを山のように平らげて満足そうでした。成長期の14歳になります。
ここのところ、長男は理解を超える行動を取り続け、腹の立つことばかりでした。
しかしながら、お誕生日は彼が生まれた日を思い出します。
何より「おめでとう」とみんなに言われると、彼もとても素直に喜び、久しぶりに私も素直に長男が可愛いと思えた時間になりました。
10年父親なしで育ててきたこと
3歳の時に長男は父親を亡くしています。
だからと言ってひどく荒れたことはありませんでした。
ただ、やっぱりとても甘えている部分はあるのでしょう。
周りから散々「まゆみちゃんは優しすぎる」と言われてきました。
でも、私は何が基準で優しすぎるのか、厳しさとはどこからなのかも分からず、手探りで育ててきました。
夫がいたら子供にもう少し手をかけてあげられたかな、と思う日もあります。
でも、長男はなぜだか自己肯定感が非常に高い。
それが私の救いで、ここのところ夫がいないことに対してそこまで悲観的に考えずに住んでいます。
それは正直私の母の力もあると思っています。
自分と真逆の視点を持つ人
私と二人三脚で育ててくれている母は、逆の視点で楽観的です。
そしておばあちゃんと言う立場で、責任もない立場。
ですので、息子の自分勝手な奇行(私にはそう見える)に関しては、我慢して何も言えない子がたくさん中、自分の意見を主張できる長男はすごいと言っています(もちろん本人にも伝えます)。
もし夫だったら、こう言う視点ではなかったと思います。
夫は責任感も強かったし、何より私よりも慎重で石橋を叩いても渡らないタイプでした。
生きていたらどうだったかは想像もし得ませんが、こういうトラブルに対してもっと重く受け止めていただろうと思います。
長男にとっておばあちゃんは、自分を認めてくれる存在で理解者です。
良いように解釈すると、彼にとって今のこの環境で父がいないことを否定的に捉える要素はありません。
責任ある親が二人揃っていること、愛情を注ぐことは理想的なことだとは思います。
だからと言って居ないから最悪かというと、そんなことはないんだと息子が教えてくれてるようです。
ここまで育ててくれた教訓は、いい距離感で、子供のことを楽観的に、ポジティブに捉えてくれる協力者の確保は大事だと言うことです。
環境のせいだけではない
息子の誕生日ケーキ。
このケーキを決めるにあたり、彼は何時間も悩みに悩んでいました。
2択まで絞ったかと思うと、あれでもないこれでもないと逆戻り。
そばで聞いていて本当にイライラしました。
でもそれは、彼の元々の性質(過去のブログに同じような記事ありました)で、変わりようのない生まれながらの性質です。
環境の影響は大きいのは否めませんが、だからと言って全て父親がいないせいではないと言うことです。
結局のところ、子供は親の思うようにならないし、なったらなんだか怖いなと思います。
彼を認めることは、父がいないことを肯定的に捉えることだと言うことです。
やはり私自身の捉え方の問題だと最近つくづく思います。
彼へのイライラは、私の至らなさを反映しています。
だから、彼は私の魂の成長にとってよき指導者なのかもしれません。
そして、父親のことを気にせずに生きていることは、感謝なのかもしれません。
何はともあれ、憎たらしくも、可愛い息子。
生まれてきたことに感謝です。
ありがとう。
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