なぜパパだったのか⑧

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<この記事を書いた人>

イタリアでの三週間はあっという間。

私はヨーロッパの文化にふれました。
どっぷり三週間。
特に教会には感動しましたね。
彫刻やら天井画、ステンドグラス、そこに通うひとたち。
東京は偉く便利で何をするにも手軽に遊べます。
でも、たまにそれがどう事なのか、離れるとわかるのです。
東京はすごいです。
何かと戦っているかの如く、全てがすごい。
わたしは産まれも育ちも東京。
だから、東京が大好き。
私の当たり前なんて、外に出てみたら、当たり前なんて言葉は何の意味もないんだって気がつきます。
そうですね、全てが感謝になっていくような、そんな感じ。
話はイタリアに戻って、ローマでの話。
私は裏路地にある小さなお店で衝撃を受けます。
そこのトルソーに着せられた1着のワンピースに心奪われるのです。
それは日本人はまずきないような背中が大きく空いたワンピース。
んー、マリリンモンローが来ていそうな首の所で押さえてあって胸まで生地があるデザインです。
伝え難い。
縁は可愛い薔薇柄のバイアステープでくるんであり、裏地も別柄になっていて、とにかく可愛い!私は前の職場で縫製の学校に通っていたことを思い出します。
あぁ、もう一度習いたいな。
その感情が湧きました。
こんなワンピース作りたい。
ただそんな思いだけで、そのワンピースを値段も見ずに購入しました。結構高かったなー。
私は中途半端にしていたことをぼんやり思い出しました。
私は日本に帰ったら、服飾専門学校に通うという事を決めます。
仕事も無く、ぷー太郎。
しかも2回目のぷー太郎。
何故あの時迷わなかったんでしょう?
仕事をせねばならない、
そんな自分の思い込み、取っぱらったら、なにが見えるんでしょう?
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