なぜパパだったのか⑨

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<この記事を書いた人>

イタリアから帰った私は、ひとまず専門学校に行くと言う、26歳で一般的な「働く」というレールからちょっと降りてみることにしました。

そんな事が出来たのもいま考えれば親が実家に置いてくれていたからなんですよね。
本当に感謝。

 

 学校説明会に行った時、周りがみーんな10代でした。
今となっては26の私も眩しい位若いのですが、少し不安もありましたね。
私は先生に、質問しました。
何を質問したかはわかりませんが、
私は、20代なんですが…
としおらしく言ったつもりが
分かってます
とバッサリ切られたのは今でも忘れられません。
とにかく私はただ純粋にローマでの出逢った、あんなワンピースが作りたいと言う、その想いだけで専門学校に進みます。
入学直前まで、派遣全盛期だったので、がむしゃらに働きました。
目標のためだったし、一年間好きな事をするから、短期集中で頑張れましたね。
こんなに自分が稼げるのかと驚くくらい働いて、ちょっとリッチ。
派遣先からも重宝がられ、残って欲しいと打診された時、一瞬¥が目の前をかすめましたが、お断りしました。
今考えると、そこでもしばらくいると人間関係って芽生えて、楽しかったですね。
人には恵まれていたんですね。
話は戻り、これが私の初めての自己投資の経験です。
それができる環境だったけど、大人になればお金も、時間は少し減りますが、いろんなことが自由になります。
決められた勉強ではなくて、自分がやりたい事、学びたい事を選択できます。
自分のお金を投資しますから、本当に学ぶ姿勢って変わります。
1秒毎がすごい大事。
わたしは後々苦しむことになる、キャリアと言う物を全く無視した、自分の心の赴くままの選択をして行くのです。
わたしが一人で子ども2人を抱え、後にこれを履歴書にするなんて思っても見ません。
ただこの時は、自分のやりたい事ができる!そんな期待だけを胸に入学の日を待つのでした。
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