なぜ死別をすると立ち直るまでに時間がかかるのか。

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<この記事を書いた人>

今日は次男のハーフ成人式と、長男の運動発表会。母と見納め。2人とも大きくなったなぁー。

母と二人三脚で突っ走ってきた10年。運動会は無くなったけど、こんなに暖かい2月の発表会。絶対パパのせいでしょ(笑)。

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私たちはバランスを取ろうとします。

転びそうになれば、無意識に転ばないように戻そうとする。
死別をした直後は完全にバランスが崩れた状態です。
(先週の講義より)
死別以前から、4本足で歩いていた場合(夫婦の場合夫2本、自分が2本の合計4本足)はそこで夫の2本がなくなっても、持ち堪えられる場合が多く、私のように夫婦なのに2本足で完全に夫に寄りかかっていた場合はバランスが崩れるわけです。
もしくは、闘病を一緒にされて、看病をしていた人が中心、つまりはあなたが2本足になっていたかもしれません。
夫婦ですから、完全に独立4本足と言うこともないですが、その時のお互いの関係性が何本足であったかと言うのもちょっと考えてみることで、立ち直る経過の目安にしてもいいかもしれません。
それは決してネガティブに捉えないで。
一つの前例としては、完全2本足夫婦だった私は立ち直っていると言うことです。
何か一つ、例えば仕事=経済的な部分が自立している人は、バランスを戻しやすいです。
そこでやって来た自分の自負もあることでしょうから、そこは足を踏ん張って立っていられますね。
だから、それ以外の部分に注力してバランスを整えればいい。
どれだけ傾いているか?逆に戻そうとハイになりすぎていないか?とかね。
私のように2本足夫婦の場合は、ひとまずその足を誰かに「ちょっとだけ」とか「一時的に」とかでいいので借りるのです。
身近な人に話してみるとか、買い物を頼んでみるとか、「ちょっとお願い」と自分のできない部分を補ってもらう。
返すのはすぐでは無くて、できるようになって来てからでいいから、まずは仮の足を見つける。
そうやってバランスをとるのです。

私たちはおそらく真っ暗闇のトンネルの中でうずくまっているようなもの。

だから、足が痺(しび)れて立てない状態から、だんだん血液行き渡って立つことができる、そんなイメージです。
しかも、立つときは片足になっている場合があるから、歩き出す為には、助けてもらうことに遠慮なんてしなくていい。
悲し「過ぎる」を悲しいに、寂し「過ぎる」を寂しいに。
今までの日常にも悲しい、寂しい、逆に楽しい、怒りなんて色々な感情が日々繰り返され存在していました。
全くなかったわけではないでしょう?
何かと「過ぎる」とバランスを崩します。
そこに戻ることはできないけれど、以前のバランス感覚を取り戻して整えることはできます。
それが「折り合いをつける」と言うことです。
その時に、あなたはあなたの2本足でしっかり歩いているはずですよ。
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