大好きな木蓮の季節。この季節になると結婚式を思い出す。結婚式で使いたかったけど、花びらが落ちるのが目立ちすぎるから却下になったのよね。そんな事気にしなければよかったと、毎年思う春。
夫が教えてくれたこと
私は、自分が棺桶に入ったときに「この人生でよかった」と思えるように意識して生きています。
あんなに引っ込み思案で、常に人の影に隠れていたような私が、よくまぁこんなにも自分の考えを日々発信したり、お茶会やランチ会をやったりできるようになったなぁと思います。
それは夫が何より教えてくれた
命にはタイムリミットがある
という、当たり前だけれど意識をしないと遠のいてしまう事実。
これを知ってから
遠慮して生きても仕方ない
というスイッチに切り替わりました。
一体誰に遠慮しているのかも、実はよくわからないのですけれどね(笑)。
基本的に自分ファーストにしています。
やりたいことをやる、とか、伝えたい想いを伝えるという日々の積み重ねがなんとも爽快なことか。
特に私たち人間は「言葉」という素敵なコミュニケーションツールがあります。
このツールを大切にして、心と自分から出す言葉(文字でも、声でも)を一致させることで心が整うように思います。
つまりは、自分に嘘をつかないってことです。
でもね、人生の半分以上を、人の顔色を気にしたり世間体を気にしたりして生きて来たので、時にそちらに引っ張るられるんですよね。
それって、みんなどう思っていると思うの?
ねぇそれって正しいの、こうあるべきじゃないの?
そうすると、自分がとてもわがままで周りにとても迷惑をかけいるような気持ちになります。
そして何よりそこに身を置くととても安心したような気持ちになります。
長年そうやって生きて来たから、楽なんですよね。
周りとの調和は取りやすいし、右へ習え的感覚だからなんとなく安心するんです。
結局は、私の場合は、それは自分へ嘘をついていることに気がつかされます。
だからしんどくなる、の繰り返し。
それを卒業したはずなのに、まだ片足抜けきれていない感覚が残っています。
私は幸せになる、この人生でよかったと思う人生を歩むと決めたのに、幸せを手にした瞬間に、一度その覚悟を試されるように
ねぇ、本当にこれで良いの?
だって周り人たちはやっていないことだよ?
周りの人たちに普通じゃない!って言われるよ?
ねぇ、良いの?周りに合わせなくて本当に良いの〜?
って昔の自分が元に戻そうとしているように思います。
だから、そこは手を振り払ってでも
自分の人生は自分のものだから、自分で決める!
と、決めて前に進む勇気を都度都度持たないと、目標にたどり着けないな、と思うんです。
自分の幸せって、この自分だけが感じられるもの。
少しわがままでも良いから、自分が幸せになって良い。
誰よりも幸せなって良いんですよね。
だって、私の幸せは他の人にとっての幸せではないんだから、せめて私自身が幸せになって人生で味合わないとね。
正しい、をとるのか、自分らしい、をとるのか。
本当に人生って選択の連続。
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