3.11に必ず思うこと(不謹慎であったらすみません)

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3.11に必ず思うこと

不謹慎かもしれません。
でも、あの時は夫は生きていて、その年の10月に彼は亡くなったんだと、必ず毎年思います。
あの時の夫は、気仙沼に住む友達のために、東京にいる自分たちができることはないか、仲間に呼びかけていたっけな。
本当にいいやつだったなと、毎年毎年思います。
それは誇らしいと。
そして、同じにしてはおこがましいですが、同じ(ではないですが)死別経験をされ、同じ月日が経った方々がその日や、亡くなられた大切な人を思う様、そして、それでも生きていかなければならい、そして実際に生きてこられたという想いや表情に共感をしてしまいます。
私のように、大切な人を1人亡くすのとは違い(数ではないですが)でも大切なものを一気に無くされた方が、今もいろいろな想いを持ちながらも生きていらっしゃる。
人って強いですよね。
決して弱くない。
自分は心が弱ってしまったと思う方も在るかもしれないけれど、そんなことはないと思います。
私は、とても勇気をもらっているし、めそめそなんてしていられないと何度思ったことか。
毎年、毎年3.11の報道がされるたびに思います。
変な話、たった一人ぼっちだと思っていた自分が恥ずかしいです。
でも、当事者になったあの当時の私は、周りなんて見えなかったというのも事実です。
昨年あれから10年かぁ…なんて思ってから、もう1年も経ってしまったんだな。
毎年その時の速さを思います。
そして、語り継ごうと、教訓を生かそうと、人の死を人の生に継承していこうとする、命のバトンがそこにあるのです。
私たち死別当事者だから、できることがあると私は思います。
ガンガン前を向いて、とにかく楽しもう!だけではなくて、もっとなんというか本質的なことを私たち死別経験者は持っている。
逆に多くの人が死別を経験しているのだから、きっと人間の中に持っている大切なものがあるんだと思います。
夫の生と死を思い出す日。
そして、多くの命に感謝と敬意を持つ日。
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