謙虚であることが、本当に清く正しいことなのか。

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<この記事を書いた人>

うちの息子たち二人はやっぱりラーメン好き。亡き父がよく連れて行ってくれたラーメン屋さん、一心亭へ。変わらずある事がすごいよね。子供達にもこの味を引き継げました。

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自分をいたわるってどう言うことなんでしょう。

急に涼しくて、過ごしやすくなりました。

それと同時に、夏の疲れも出てくる頃なので、より自分をいたわる時期ですね。

自分をいたわるってどう言うことなんでしょう。

人それぞれいたわり方は違うけれど、よく寝て、無理のない食事をすることが基本かなと思います。

そして、私が気になるのは、「言葉」。

メールでも、ラインでも、喋っている言葉もそう。

私たち日本人は謙虚すぎます。

私もそこそこ謙虚な人間ですが(笑)、多くの人が自分に対して遠慮をしている様に思います。

先日もブログで書きましたが、お金に関して「買ってしまった」ではなくてただ、「これを買いました」でいいと思うんです。

「こんな私が」と(私は過去の自分によく使いますが)「こんな」なんて下げなくて良いんですよね。

あなたはあなたで素晴らしいし、悪いことなんてしていないんだから。

こうして書いていて、自分も気をつけようと思ったりもしています(汗)。

そうやって、日々の言葉をもう少しだけ図太く?図々しく?変換してみてはどうでしょうか?

ちょっとしたことなんですが、これは無意識レベルなので、自分に染み付いてしまった癖ですね。

自分を下げて相手を上げる感覚です。

そうではなくて、下げる必要はなくて相手を立てたら良いんですよね。

上下ではないので、マウントとは違いますよ。

私は、つい先日まで、自分のことをすごく良く言う人や、自撮りをしまくる人に抵抗がありました。

すごい違和感があったんですよね。

コーチから、だったら自分でやってみたら?と言うアドバイスをもらって、やってみました。

これは自分には「ふさわしくない」と決めつけて、自分を下げない練習ですね。

例えば、「もう歳だから」と思って着てみたいけど、買うのに抵抗があった服も買って、しばらく家の中だけで着ていました。

それが慣れれば、外に着て出かけてみる。

少しずつハードルを超えていく練習です。

誰がなんと言おうと、自分が似合っていると思えば似合っているんです(笑)。

街中に出たとしても、周りはスマホばっかり見ているわけですから、大して自分のことなんて気にしていないんです。

そうやって、

自分はこんなことをするにふさわしくない

と言う感覚を外していくのです。

そうすれば、自分大好きな人の言葉にも反応しなくなります。

そして、少しずつ自分にも「自分にはそもそも価値がある」と言う様な言葉を使える様になってきます。

色々と人生がうまくいかないことが重なると、自分の人生、自分がどうしようもなくダメな様な気がしますが、全然そんなことはないんですよ。

そう感じることは仕方ないですし、その時はそう言う感情で自分を守っているだけかもしれません。

その時の感情は、その時のあなたに必要であるものだと思えば少しは楽に感じてもらえるかな。

でも「その時」は刻々と変わるでしょう?

だから、その流れともに自分も変われば良いんです。

力を抜いて、流されて良いんですよ。

頑なに「ダメ」に、しがみ付く必要はないじゃないですか。

どうしてもそれが拭えないなら、もっともっと前の子供の頃のご自身を癒さなければいけないのかも。

これは一言でお伝えできることではないです。

ただ誰でも、生まれてきて、とにかく不快なら泣くと言う、何にも囚われずに自由に感情を表現してきた頃を必ず過ごしています。

お子さんを育てた経験があれば、尚更わかると思います。

大人というフィルターはかかりますが、自分の感情と行動や、言葉は一致して良いし、その言葉や行動を肯定して良いんですよ。

もちろん、ルールに乗っ取ってですけどね。

謙虚である事で自分を傷つけていませんか?

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