自分の周りを見たら、自分の未来が見えるかも。

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<この記事を書いた人>

同僚が出社した時は、大抵ランチに誘います。あんなにミーティングで話してるのに、いつまででも話せる、謎な集団(笑)。

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私が夫を亡くして一番最初に見つけたコミュニティは、悲しみに溢れている所でした。

私だって悲しいのに悲しみに溢れていると感じで、私はどうしても入る事ができず、一言も発言する事なくそこを立ち去りました。

ここにいたら私は悲しみから抜け出せない、と直感が働いたのかな。

私は死別シングルマザーである相談員さん以外には死別の人と交わる事なく、しばらくは過ぎました。

その後出会ったのは、イベントで偶然同じグループで割り当てられた子が一人だけ。

その子は私より少し死別歴は長くて、もう前を向いている子でした。

私は死別の仲間が欲しいと思っていたけれど、意に反して割と孤独?に死別人生を歩んできました。

誰かと関わるよりも、自分との関わりを増やした死別シングルマザー人生でした。

私の死別当初は、私の勤めている協会もまだ立ち上がっていなかったし、SNSの環境も今とは全然違っていました。

今ならもっと手軽に見つけられるし繋がれる。

でも、なんていうか、「質」みたいなものは基本的に変わらないように思います。

共感できるコミュニティって、自分の気持ちを気にせず話すことができる大事な場でもあります。

同じような気持ち分かり合えるから、わかってもらえて安心しますよね。

そこに、同じような人だけが集まると、そこは安心ですが、前進するスピードは遅いかもしれません。

悲しみに浸りたいときはとても有効。

でも、ちょっと前に進みたいと思ったときは、引っ張ってくれる人にも、同時につながるといいと思います。

そうやってバランスを取って、悲しみから少しずつ卒業できるルートを見つけて置くことを、私はお勧めします。

行ったり来たりの「行ったり」を倍くらいの力で、「来たり」の悲しみに戻る力は半分くらいに抑えることで、今後の人生をより輝かせるスピードが上がると思うのです。

私は、結局孤独ではありましたが、引っ張ってくれる人に囲まれていたんですね。

悲しいのはひとりで思いっきり悲しんでいただけでした。

でも、立ち直ったと気が付いたのは、周りに仲間がいなかったから、遅いかもしれないですね。

私のランチ会には、割と死別したての方もいらっしゃいます。

その行動力はすごいなと思います。

そして、本当に手前味噌ですが、私やランチ会に参加してくれている人と関われば絶対大丈夫だろうと思えるんです。

こんなにあの経験を心置きなく笑える場所ってある?みたいな感じです。

それに抵抗があるなら、それはそれでいいんです。

自分に合うコミュニティを見つければいいだけ。

そして、未来をこのままでいるか、少しでも前に進むかを考えればいいだけなんです。

私にはそんな幸せになる資格がないとか、そういうことは置いといて、どちらかを選択すればいい。

本当にそれだけです。

そこで決めた道は、自ずとそれにふさわしい人が現れたり、事柄がやってくるからね。

人生は選択の連続。

だから、選択変えたいと思ったら変えればいい。

どう行きたいか?それは自分で決めていい。

どういう人といたら、どうなるのかな?

それをイメージすれば良くて、イメージに近づきたいと思うことがスタートです。

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