人の輪が繋がりつつあります。
自分の居場所を「分散して」持つことは大切です。
やっぱりひとりぼっちじゃしんどいよね。
でも、そこにどっぷり浸って抜け出せないというのも、それが無くなった時にまたとてもとてもしんどいです。
私がパパを失った時と同じでね。
でも、それも今となってはよかったと思えます。
ゼロから立て直したし、微妙に繋がっていた人間関係にはカタをつけたので、人生はガラリと変わりました。
今まで笑っていたことに対して、全く笑えなくなったり、全く興味がなかったことがすごく面白く感じたり。
ずっとやりたいと思っていたことが、巡り巡ってやれる環境が整ったり。
私は一旦積み上げていたものを更地にして立て直しました。
それはもう必死で、詳細は記憶にないです。
でもね、私たちは希少な経験をした人の一人かもしれませんが、「特別」な人ではなのです。
私は絶対に私の気持ちは、経験した人にしか理解されないと思ってました。
いや、正確に言えば今も思っています。
だから、わかったようなことを言うなよ、と思われる発言にはレーダーが反応します(笑)。
場合によっては、噛みつく事もありますよ。
でもね、それは誰しも、どこかしら抱えているものです。
また別の部分では、私は死別の人に理解されない部分も持っているはず。
とにかく、私たちは特別なんかじゃない。
色々抱えているこの人類の(壮大だな…)一人、一部してしかないんですよ。
共感できるコミュニティは必要。
とても癒されます。
自分がわかってもらえない部分を持っていると同じくらい、幸せそうな人も実は、わかってもらえなくて苦しんでいるものを抱えている可能性が高いと言うことを、今すぐじゃなくていいから徐々に分かって欲しいです。
なぜかと言うと、そう言うもんだと思った方が絶対楽だからです。
私たち特別だ、分かってもらえない、だからわかる人とだけ関わる
と言うのは危険です。
手前味噌ですが、私のランチ会は分かってもらえない部分を笑い飛ばすくらいの明るさを持っています。
だから、大丈夫!と心の底から思っています。
悲しいを共感するとともに笑い飛ばして、そこでなんだかわからない目に見えないパワーをみんなで出し合います。
その後、今まで生きづらいと感じていた、色々な人のいる世界が、なんとなく楽チンにこなせる自分を発見できていると思うのです。
だから特別感が徐々に薄まるはずです。
世界を狭めては勿体無いですよ。
自分の理解されないを大切にするのと同じくらい、他人の理解されない部分を尊重するのです。
死別の人と出会って「私だけじゃない」と思うのとちょっと似ていて(同じじゃないですよ)、全く違う経験を持っている人だからこそ「私だけじゃない」と思うことって大事なことです。
何事もバランスですよね。
でも自分の「特別感」の鎧は本当に下ろした方がいいです。
いま、その鎧がないと傷ついてしまうのなら、まだ着けたままでいいですよ。
あなたを守るものだから。
でも、人生はあっという間です。
フットワーク軽く楽しむなら、鎧はちょっと重たすぎます。
ずっと着けて生きるものではないです。
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