死別した後の人生をワクワクしましょう
今月に入ってからのセッションは、とても前向きなワクワクするセッションが続きました。
夫の死は悲しいけれど、夫のいないこれから一人で歩む自分の人生にも期待しているという内容でした。
それはいいとか悪いとか、そんなジャッジや議論は正直どうでもいいのです。
何が正しくて何が間違っているは無いから。
たとえ夫が亡くなっていようと、自分に期待することや、自分の人生にワクワクすることは決して不謹慎ではありません。
不謹慎と思うのは誰ですか?
それは「愛している人と死別したら悲しまなければいけないと言う価値観を持っている人」です。
もしくは、あなたに悲しんでいて欲しいと思っている人なのかもしれません。
それが自分なのか、周りの声の影響なのか仕分けしてみましょう。
もし自分であるなら、その価値観で生きていくのか、悲しむことに期限を決めるのか、今この瞬間に手放すのか決めます。
決めたら、そちらに向かっていけばいいだけです。
ワクワクしているなら、素直にワクワクしていきましょう。
ワクワクできる人の共通点
ワクワクしている人、自分の人生を楽しもうと思っている人の共通点は、夫に関して感謝の視点を持っている人です。
亡くなった旦那様からかなりの愛を素直に受け取れる人でもあります。
生前からそれを感じて、幸せを当たり前のように感じていました。
そして亡くなったからといって、その愛は変わらないと思えるかどうかで大きく違ってきます。
小さなことでも、亡くなった後の旦那様の愛を拾えていますか?
生前も愛されていたから、基本は満たされています。
亡くなることで、一瞬目の前から肉体は消えますから、喪失感はもちろんあります。
その悲しみは悲しみとして味わうこともしています。
死んだけれど、愛されているからすぐに大丈夫!では無いですよ。念の為。
死別後に悲しいならも起こるいろいろな出来事に、夫の愛をきちんと拾えるとどんどん悲しみのコップに愛を注ぐことができます。
今まで、私は自分で自分のコップを満たすものだと思っていましたが、その前に亡き夫との共同作業があったと気がつきました。
夫婦共同作業でそのコップを満たすとスピードが何倍速にもなるのです。
そのコップが満たされたら、きっとワクワクのコップを神様から差し出されるのでしょう。
そのコップこそ自分で満たすべきコップなのです。
悲しみの勝負を挑まない
一人で生きていくこと、一人で子供を育てることへの不安はあります。
その不安は夫がいる時は違った形であっただけ。
それは夫はいないことで確実に輪郭が見えてきて、自分で請け負うことになります。
でも、請け負うといっても夫は亡くなっていますから、請け負うのは自分の分だけです。
疲れていたり、悲しいから、ひどく重たく感じるだけです。
そこで、気がつくはずです。
不安なんて消えるものでもないし、悲しみも消えない。
夫がいようといまいと、不安がっている人はなんて周りに溢れていることかと気がつきます。
自分は一人だから、不安は大きいのだ!と決めるのではなく、みんな違う形で抱えているんだと気がつけば、自分と人を切り分けられます。
疲れている時に不安や悲しみの勝負をしてはいけません。
みんなそんなものだと思えれば、人のことをかまっている時間などもったいなくて、自分に期待やワクワクすること、つまりは夫の愛を少しずつ受けれられます。
夫の愛を受け入れられたら、人のことをかまっている暇はなくなります。
ワクワクすることに忙しくなります。
だっていつかは死ぬのだから。
それは誰が教えてくれましたか?
あなたの愛する夫が命をかけて教えてくれました。
だから、ワクワクしていいのです。
ワクワクは夫の愛、夫からのプレゼントと思えれば受け取れますか?
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