パパが私の実家に初めてきた時の手土産は、銀座ウエストのお菓子でした。休日に知人と銀座ウエスト 青山ガーデンにてお茶をしました。素敵なカフェがあるなんて知らなかった。大人時間を楽しみました。
「自分」ってなんでしょうね。
一番近くて、実は一番よくわからない、そんな存在かもしれません。
かつての私は、自分に自信がなく、いつも人と比べて自分の劣っている部分に注目していました。
自分の評価は他人に任せて、その都度グラグラしていました。
人の価値観なんてバラバラですから、ぐらつくのも当たり前ですね。
そんな風に批判する人を妬んだり、悪口を言って自分を防衛したりして、かつての本当に私はどうしようもないやつでした。
夫を亡くしてから、それを徹底的に見直して、自分を向き合う時間に費やしたように思います。
いや、過去ではないですね。
今もなおそういう時間を持っています。
だから、自分がとても立派になったかというとそういうことではないですよ。
ただ、ダメな自分もある程度受け入れて、ダメと思われるような行動も、ある程度それでよしと「自分」で自分のことをジャッジするわけでもなく、受け入れられるようになりました。
無駄遣い?
簡単な例えだと、「無駄遣い」するという行動。
それも節度はあるけど、お金はあの世に持っていけないし、その時の自分が満たされたならお金を使うことは良しとしています。
夫を亡くした後、一時期散財する時期がありました。
本当に、お金の意味もわからなくなったし、物で心を埋めようとしていたんだと思います。
でもね、そんなことで心は埋まりません。
…と格好良く言いたいところですが、私は結構それで心は落ち着きました(笑)。
お金を使う意味を知ったという感じでしょうか。
だから、私はお金を使わずに溜め込むことよりも、働いたお金で、ある程度お金を回すことに意味があると思っています。
正直、使うお金の「程度」はあります。
借金してまで、周りから羨ましがられる物を買うというのは違います。
でも、自分を本当に満たしてくれる物であれば、それはあなたにとって価値のある物です。
お金の価値も、その買ったものの価値もそれぞれで、一概にこれは無駄でこれは絶対必要と線引きできる物でもありません。
ただ、なぜかお金を使うことにかなりネガティブで、お金を溜め込むことが正しいと思い込んでいる人が多いような気がしてなりません。
将来のために、お金がないと不安なのもわかります。
子供にだってお金がかかってくるし、やりたいこともお金がないと叶えてあげられないことも多いですよね。
でも、それがいくらなのかを分かるのはやっぱり「自分」なんですよね。
それと同時に、ひとり親の受けられる支援とか、奨学金を調べるとか、お金を貯められない自分を責める前にできることもありそうです。
お金を使ったことが悪いと思えば思うほど、せっかくお金を使って自分を満たそうとしているのに、罪悪感だけが残ります。
そこをなぜそう感じるか?やっぱりそこは「自分と向き合う」ことなんですよね。
自分というものが何なのか、「自分はこうです」という、何か柱になるものが見えれば、あまりぐらつかなくなってきます。
私は子供たちに「ママは経験にはお金を使うよ」と伝えています。
どこへ行きたいとか、何をしたいということに対しては文句を言わず出すようにしています。
ただ、物に関しては、「それ本当に必要?」と一旦は聞いています。
そうやって、お金に対する自分のルールというか指針をもてば良い。
納得してお金を使えば良いじゃないですか。
「自分は自分」なんです。
なんで使うことに罪悪感や「使いすぎちゃった」という気持ちが残るのか?
支払い明細を見るのではなく、実は「自分」というものを見ることが大事なのかもしれません。
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