捨てる神あれば拾う神あり

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<この記事を書いた人>

仕事で行った水天宮で、お土産にたい焼きを買いました。子供たちは素直に喜んでくれるから、まだまだかわいい。

仕事で嬉しい事が。

先日、散々話(愚痴?)を聴いた、取引き先の方とまた電話で打ち合わせをしました。
頑張ろうと思っていたことを、色々な事情で思うようにならなくなりました。
先日、彼は悔しいと言っていて、でも、その中でもいい終着点を模索していました。
先方は先方で、うちの会社ではうちの会社で、どうしたらこの最悪な状況を少しでもいい形にするのか、それぞれで一生懸命考えて、それの擦り合わせ。
やっぱり根底には「悔しい」想いがある。
絶対良いものになったのに、上の意向で何も出来ないんですよ。
それでも、1ミリの希望を見つけて、その希望に向かって、どういう形がベストなのか、真剣に考えてる想いが伝わってきました。
彼はとても真面目な人で、完璧主義者。
だから辛いんだろうけど 、全てに全力で、全ての批判を真っ向からうけて、全てに良い顔をしてしまう(苦笑)。
でも、諦めず頑張っているから、味方が出てきたみたいなんです。
声は前回より軽やか。
彼は言いました。
だから、この前も言ったじゃないですか、「悔しい」って(笑)
と。
私も思わず、
想いが同じで嬉しいです。まだいくらでも修正できるから最後まで頑張りましょう!
って言いました。
彼のいいところは完璧主義者ゆえに、全ての人にリスペクトの想いがあることだなぁと。
彼の真面目故の不器用さは、本当に誤解を招きやすい。
でも、人と人との繋がりで色々学ぶんです。
私がそうで、彼のことが一時期ほんとうに疎ましくて仕方がなかったんですよね。
紆余曲折ありながら、でも目的は同じだから、気持ちが一体になる事がある。
今はそのゴールに向かって、純粋に良いものにしたいから、お互いの嫌なところを見ているのではなく、同じゴールを見ているだけ。
見るものを少し変えただけなんです。
だから、彼がどうだとか、私がどうとかはどうでも良いこと。
ただ、お互いゴールに向かってベストを尽くす、それだけなんだと。
なんだか、それだけですごく感動して、最後の一踏ん張り、やったろ!みたいな気持ちが湧き上がっています。
生きるってそういう事なのかなと。
ミリの希望があるなら諦めない。
ダメと思って諦めるのか、あと一歩だけ前に出るのか。
必ず頑張っている事を、誰かが見ていて、そう、やっぱり手を離しそうになった瞬間に、その手は違う人と繋がっていたりする。
捨てる神あれば拾う神あり、ですよね。
拾った神様が喜んでもらうには?
楽しんじゃうしか無いのかも(笑)。
だって人生には失敗なんて無いのだから。
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