母が苦しくなる時

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<この記事を書いた人>

実は、パパはなんで亡くなったか、死因がはっきりしていません。

死亡届にかな?(記憶曖昧)死因が明記される箇所があるのですが「死因不詳」って項目があって、そこにチェックされているわけです。

旦那さんご病気で?

と聞かれたら、

えぇはぁ、まぁ・・

と答えたり、うそつくこともありました。

面倒なんでね。

そんなこんなで、なかなか・・・なんとも言い難い感じですよ。

子供にもなんて伝えようなぁーって感じです。

当時、一連のことをそばで見ていてくれたのは私の母で、私の状況をあれこれ説明しなくてもわかってくれるのは母以外にいませんでした。

だから、とても距離が近くなったんですよね。

中間子として育った私は、母を独り占めした経験がなくて、パパのことをきっかけに皮肉にも独り占めすることになるわけです。

献身的に支えてくれた母。

今でも本当に感謝しています。

でも、距離は近くなればなるほど、母の気持ちが見えてくるのです。

もちろんその頃の私のベースは「超ネガティヴ」ですから、受け取り方は超ネガティヴなわけです。

母は私のことで、友達との約束をリスケしたりと私や私の子供たちの予定を優先してくれました。

その代わりに、娘の夫が亡くなったという話をしなければならないことも増えます。

でも

どう言っていいかわからないのよね〜。困るわ

と言われると、誰が悪いとかそういうのでもないのに

「親を困らせている親不孝な自分」

だという自分にしてしまうんですよね。

母のお友達のお子さんたちは検事だったり弁護士だったり立派な職業だと言われれば、

どう言っていいかもわからない、ど不幸な死別未亡人の娘ですいません

みたいな気持ちになるわけです。

で、過去の自分を引っ張り出して、

じゃあ、なんであんなに放置して育てたんだろう?

って思うわけ。

怒ることも、褒めることも、勉強を強要されたこともなく、中の中で来た私。

そんなに立派だというなら、なぜその道を示してくれなかったんだろう?って思ったりして、母の今までの子育ての意図が全く見えませんでした。

そして、今どう考えても他人に誇れるような娘ではない自分がとてもとても情けないような、いやそうじゃなくて、親に対して「申し訳ございません」っていう気持ちになっていたのです。

そうやって、母の言葉一つ一つに敏感になり、そして傷つくようになっていくのです。

30代半ばを過ぎて、親子がこじれていくのです。

私が今まで何事もなく母の喜ぶようなことを手探りで探していました。

やっと結婚、出産、と喜ばしいことが続きやっと満足させたれたと思った矢先の死別。

しかも、人にどう言っていいかわからないと来たもんだ。

完全に子供落第です。

でもね、これは「母を喜ばす自分」にならなければ「いけない」という、母視点の人生を生きていた自分であることの気づきのスタートだった。

私は私の人生でいいんだという、それに気がつくきっかけだったわけです。

私は夫もいず、母にも申し訳ないという、完全に自己肯定感マイナス状態になります。

ここから、自分の心の洗い出し作業に進んでいくのです。

母に対して、こんな娘でごめんなさいという気持ちを持った瞬間、最悪でした。

人生で、辛い時だったし、さらにガクッと落ちた感じでしたね。

でも、今振り返るとこれもいいきっかけで、パパが与えてくれた試練?だったのかなと思います。

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