死別カウンセラー万珠です。
当事者として、大切な方と死別した方へのカウンセリングをしております。
わたしの感じたこと、死別の辛さから解放される方法を発信しています。
他人のイメージとセルフイメージ
夫と死別をしたというだけで、すごいね、強いね、と言われることがあります。
頑張ってきたことは素晴らしいと言われることがあります。
公に死別を口にすると、こんな言葉をかけてもらい、違和感を覚える自分がいました。
死別経験はもっとどす黒い?(笑)
夫の遺体と対面したあの日、その後立て直すまでの自分を考えると、そんなきれいなもんじゃないと私は思っています。
うちの場合は、闘病などで夫婦で支えあったわけではありません。
(支えあうからいいとか悪いとかではなく)
うちから送り出して、その次彼と対面したのは、警察の安置上というところでした。
その薄暗い場所や、夫の美しいとは言えない姿は今でも忘れらません。
その後も決して美しいものではなく、ひたむきに頑張ったというのともまた違っていて、私は、本当に地べたを這いつくばるような、そんな体の重さを感じながら生きていました。
もっとどろどろとした嫌な感情や、汚い言葉、汚い自分をたくさん見ましたし、それをカウンセリングの中でも、まぁ、ひどいくらい吐いてきました(笑)。
だから、すごいなんてそんなきれいなもんじゃないと、私は条件反射的に抵抗を覚えてしまうのかもしれません。
今の私の印象
それでも、私は今そんな時代も乗り越えて、笑顔でいます。
あんなどろどろの自分を知っているからこそ、心の底から笑えている。
作り笑いをした経験があるからこそ、今の笑顔は本物で、心の底から笑えているとわかります。
今の私の笑顔は正真正銘の笑顔だと自負しています。
だから、自分をさらけ出したときに、私のことをすごいとか、強いとか、素晴らしいという、とてもポジティブな声をかけていただけるのかもしれません。
それをいつも、あの黒い経験が邪魔をしてうがった態度で、そんなもんじゃないいちいち抵抗をして、目が吊り上がる(笑)自分がまだまだいるということに気が付きました。
ある種、その黒い経験こそ自分の無駄な「プライド」となって、防御する壁となっていたということです。
もういい加減緩めて手放してし、他者のイメージを素直に受け取るという課題に私は直面しています。
学び続ける
先月から新しい場所に入り、新しい環境に身を置き、新しい学びをスタートしました。
そこではいつも違和感を覚えて、どうしたらいいかわからず、いろいろなことの手が止まっていました。
新しい学びの中で、私は自分の嫌なところと対峙するワークをやりました。
そして、その自分を言い換えて自分の嫌な部分は、いい側面もあるということに気が付きました。
自分の良さを発見するというのはとても気分のいいものです。
また自分がステップアップする時が来たのかなと、自分に期待しています。
学び続けること、自分と向き合い続けること、それには伴走者がやっぱり必要。
そうでないと、すごくスローペースになり、今世のうちに素敵な自分に出会えず、来世に持ち越しの確立が高いなとつくづく感じる時間でした。
そして、学びの中で素敵なカードを引いてもらいました。
私は宝珠観音というとても美しいカードとご縁をいただきました。
これがまたスペシャル超大吉レベルのカードでした!
しかも万珠さんの珠がリンクしてますねと言われて、それもうれしかったですね。
わたしのNGワードは「どうせ」だそうです。(笑)
自分の意識に刻みたいと思います。
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