死別した後の「もしも」の活用法

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今日を完璧な1日として考えてみる

どんなに悲しくても、どんなに辛くても、今日は完璧な選択の上に成り立っていると考える。

もし、夫が生きていたら、それはそれはえらく素敵な日々だったのでしょう。

それも一理あります。

夫といた時の自分も好きでしたから、夫が生きていたら、笑い合える日もたくさんあったことでしょう。

そこはそこで、そんな人と出会えた自分を大切にしてください。

それとはまた別に、私はそれはそれはありとあらゆる未来を想像しました。

  • あの時、あの選択をしなかったら?
  • あの時、夫にあの声がけの言葉を変えていたら?
  • あの時、あの料理を出していなかったら?
  • あの時、あの1日がなければ?

良いことも、悪いこともたくさんの想定をして考えました。

考えたら、違う最悪な状況っていうのも思い浮かびます。

もちろん最高も思い浮かびます。

でも、悲しいかな、「最高」は夫が生きている前提だから、手放しました。

それはいくら考えても「ない」からね。

最悪を考える

そして、ありとあらゆる「最悪」な事態を考えました。

同じ夫が亡くしている未来でも、また違うパターンだったら?

あの時の私には、それは本当に耐えうるものだったのか?とかね。

考えて考えて考え尽くして、自分を納得させる作業。

これこそ究極の諦め作業かもしれませんが、今生きているのは、あの時の私があの選択をしたから、何とかやってこられたんだ、と自分で一つずつ腹落ちさせてきたように思います。

そうしている間にも、毎日生活が繰り返され、自分は生きて行きます。

生きて行けるという「実績」みたいなものを積み重ねるわけです。

「今日」が最高の日

だから、いろいろな想定と、今生きている事実を日々検証して、まぁ、これでよかったんだと、いや、よかったは違うんですが、まぁ致し方ないから、この人生を受け入れようと、そんな感じで天秤にかけていました。

そして、いやでも「今日」を勝たせてあげる、みたいな感じでしょうか。

そうして、自分に言い聞かせて、前に進んできたように思います。

手に入らない未来を完璧にしすぎると、やっぱりしんどいですよね。

だから、こればかりは自分の納得作業を地道にしていくと良いです。

そして、今を完璧に。

ちょっと極端かもしれませんが、それくらいに考えて、今日を勝たせてあげてください。

もしあの選択をしながったら、夫は生きていたかもしれないという想定と対局の、「最悪なもしも」を想定してみてください。

中々難しいことだと思います。

でも、何かを少しでも納得させるヒントになりますように。

 

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