「自分の当たり前」が育てた価値観〜シングルマザーについて2

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<この記事を書いた人>

死別ブログをお探し中のあなたに、少しでもお役に立てればと思い記事を更新しておりますカウンセラー万珠(マジュ)です。

「死別シングルマザーが立ち直るブログ」で、私自身がどう立ち直ってきたのかを、記憶を辿りながら綴っています。

自分の生い立ちを考えてみました。

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「自分の当たり前」が育てた価値観

わたしはシングルマザーに関して、なぜ偏見を持っていたのかはわかりません。

ただ、自分の両親が健在で、そこそこ可も不可もなく生きてこられた経験がその偏見を育てたのかもしれません。

わたしの幼少期に、シングルマザー家庭の友達はいませんでした。

だから、両親健在が当然な様な気がして、それが当たり前、逆にシングルマザー家庭が何か特別だと思っていたのかもしれません。

父が仕事のストレスのピークだった時期があり、母に離婚してやると言い放った時、母は黙って耐えていました。

わたしは泣きかながら両親に「離婚はしないでほしい」と懇願する手紙を書きました。

それくらいなぜかわたしは両親が離婚する事に恐怖を感じていたのです。

母は40半ばまで完全な専業主婦で、仕事をしていなかったのは大きなったと思います。

もし離婚したら、父の元に行くのは絶対嫌だけど、母の元に居たら多分自分は生活面で困るだろうと分かっていたから。

だから、わたしは離婚という言葉を父から聞きれた時に格別恐怖を覚え、その気持ちが離婚というものをとてもネガティブなイメージとして構築していったのかもしれません。

 

 

あと、私の友達の子供がトラブルに巻き込まれて、その時の当事者がシンママでした。

やっぱり父親がいないとね、みたいな事を私が無意識に言った事をなぜかよく覚えています。

それくらい私はシングルマザーに対して周りにいないのにも関わらず、自然と良く無いイメージがで出来てましまっていました。

 

私の価値観は家族は両親が揃っているのが当たり前でした。

わたしが両親の元それほど大きなトラブルも無く平凡ながら幸せだったという事かもしれません。

でも、それが我が子もそうでないと幸せになれないと決めていたのも自分。

もしシングルであることに、苦しさを感じているなら、一度自分の生きてきた過程で育った価値観を考えてみると、苦しさのヒントが自分の中にあると気がつくかもしれません。

 

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