食べ物を考える

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<この記事を書いた人>

食べることの大好きな私は、せめて自分の買ったものは食べきること、食品を捨てないということが食べ物たちに対するリスペクトだと思っています。

それでもどうしても食べきれず、廃棄しなければならない時もあります。

自分の許容量オーバーだなと、と反省します。

フードロスの問題を目にしたり、食料品、特にデパートのきらびやかなものが溢れている売り場に行くと、たまに気分が悪くなります。

しばらくはね、大丈夫。

ショウウィンドウに美しく並べられているケーキなんかを見ると、ウキウキします。

でも、しばらくすると、この食べ物たちの行く末を考え始めちゃうんですね。

悪い癖です。

この子たち全部食べてもらえて、お役目を全うできるのかしら?

生まれてきても、ただ捨てられる子(なぜが擬人化)たちも多いのだろうなぁ、かわいそうに。

とか、ごめんね、美味しく食べてあげられなくて、みたいな。

世間知らずの私は、どうも生産だとか数字を理解していないのでついつい、そちらに目がいってしまうのですね。

物にあふれている時代。

だからこそ私は私の食べきれる分の食べ物を買い、食べ切りたいなと思います。

自分だけでもロスしない姿勢。

食べることは生きることでもあります。

何を選択して、何を食べるか、誰と食べるか…などが明日の自分を作ります。

目まぐるしく、忙し毎日でそれを考える時間はなかなか作れないかもしれません。

私もその一人だと思います。

でもね、物を持たないとそれだけ考えもすっきりしてきます。

食品の溢れる冷蔵庫を見ると、食べ物に追っかけられている気持ちになるのです、私。

対等ではない感覚。

スッキリしてくると食べ物と対等になれて、自分が食べたいものをよりはっきりとさせることができるような気持ちでいます。

それこそ、心と体の栄養になっていくのです。

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