老いを考える

スポンサーリンク

<この記事を書いた人>

先日、母が月一回の一日仕事のため、私が代わりに父をみる、ということで自宅(実家)勤務にしてもらいました。

父は尿瓶でおしっこをしたりもしているそうですが、さすがに娘にしてもらうのはプライドがあるみたいで、それはしなくていいと言われました。

自分でご飯をレンジにかけたり、歩いてトイレに行ったりしていました。

基本自分のことは自分でできるスタンスだったので、私はそれを尊重しました。

ただ、いるだけ。

ベットで横になっている父。

その側で、パソコン作業をしていました。

自宅勤務。

私は勤務中。仕事をするのです。

ただ、父はマイペースだし、父は父の生活をしているので、テレビをつけちゃったりするんですよね。

そうすると、私は仕事にならない。

私は、そっと2階へ上がり仕事を始めました。

1時間もしないで、私の名前を呼ぶ父。

母から晩御飯のことは聞いているのか?

と聞かれて、特に聞かれんてないよと答えて、仕事に戻りました。

またしばらくすると、また呼ぶ。

いないから心配したというのです。

私がきちんと説明すればよかったんだけど、

お父さんが好きにテレビを見るのを邪魔したくないし、仕事があるから2階にいるんだよ。

というと、少し心配そうにわかったわかったというのです。

自分の視界に誰か入っていないと心配なんでしょうね。

また、しばらくすると、お隣の85歳のおばあちゃんがお土産を持ってきてくれました。

お友達はどんどん亡くなっていく、何を楽しみにして生きればいいんだろう、

みたいな話を聞かされました。

この間までおばあちゃんはいつも格好良くおしゃれして、宝塚にお出かけしていました。

おうちだって、立派な二世帯住宅(って実は大変なのかな)に住んでいます。

年老いると「孤独」とどう付き合うのか、そこが問題なのかなと思いました。

父は病気になって、友達づきあいをほとんどしていません。

自分の姿を見せたくないのかな。

母が頼りなんでしょうね。

お隣のおばあちゃんは体は元気なんだけれど、お友達がどんどん先に逝ってしまった。

多分、二世帯とはいえ、家族とは疎遠なんだろうと思います。

私に宝塚のDVDを貸してくれて、見たら感想聞かせてね!と言って帰っていきました。

人との交流。

結局人は人とでないと、楽しさとか幸福とかを感じないのかもしれません。

一人の時間が大事なのは、家族とワイワイ過ごしているから。

仕事の人と、仕事に熱中してワイワイやっているから。

一人とは相反したところに、人との付き合いがある。

毎日、孤独を感じること、それはとても辛いのだと思います。

私は、時に仕事が忙しく、帰ったら、子供達がワイワイやっていて、あぁもう一人になりたい!

それこそ、

大きな芝生で周りが何にもなくて空は青空で、聞えるのは風の音だけ。

いるのか、ただ、わたしだけ。

そんなところにトリップしてしまう妄想をしますが、当たり前のように人との交流があるからこそ、それを求めるんだなと思いました。

今日はそういう空気の中にどっぷり浸かって、仕事をしていました。

正直、仕事にならず、思うように仕事が進みませんでした。

なんだかどっど疲れてしまった。

帰って、子供達の喧嘩の声、元気な声がなんだか心地よかった。

生きるって、老いるってなんでしょう。

早く逝きたいって?

人の人生って?

若くして夫を亡くしたわたしにとって、今日の1日はなんだか違う世界に飛び込んでしまったような感覚でした。

パートナーを亡くした方のカウンセリング

当事者として、寄り添ったカウンセリングをいたします。

お申し込みはこちら

↓クリックして応援よろしくお願いします。
にほんブログ村 家族ブログ 死別へ

コメント