母親の言葉で傷ついた経験のある方へ。

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<この記事を書いた人>

次男がお花をプレゼントしてくれました♪

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誕生日って

若かりし頃の誕生日って、なんであんなに重きを置いていたんだろうと思います。

母からおめでとうのラインが入り、ご飯でも食べに行こうと誘われました。

母は私を産んだ時、こんなことになるとは思っていなかっただろうと思います。

一時期は自分の人生を、親に対して申し訳ない想いでとても苦しかった時期があります。

親からの心配の言葉もねぎらいの言葉も全て、自分を否定されているように聞こえていたし、こんな人生でごめんなさいとさえ思っていました。

でも、それもこれも全部を切り分けて考えて、自分は自分の人生、母は母の人生だと思えた時に、とても軽くなったのです。

娘を思う気持ちと、自分の人生は全く別物です

だから、私は彼女の人生や人生の捉え方、育ち方を理解しようとしました。

初めて母を一人の女性として、理解をし始めたのです。

そうすと「原因と結果」ではないですが、なぜそういう考えに至ったのか、どうして母はこういう発言をするのかが見えてきて、徐々に落とし込めるようになり、切り分けられるようになりました。

彼女も手探りで、彼女の中の精一杯で3人の兄妹を育ててくれたんだと理解ができました。

彼女なりの精一杯で、死別後の私を応援してくれていたことを理解できました。

夫を亡くしたことで、母と私は、母と娘と言う関係ではあるけれど、人と人という関係にもなれたように思います。

何度も書いていますが、私の根本的な問題は、夫のことを掘り下げれば掘り下げるほど、母と娘の問題で、それを突き詰めると私個人の問題でした。

乗り越えるのは辛かったですよ。

自分の辛くて蓋をしていた過去に、あえて切り込んで行ったから。

でも、それを癒してあげることで、本当に生きやすくなりました。

大切な人が亡くなると、自分を見ざるをえない状況になってきます。

夫がいなければ、蓋をしたままだったでしょう。

なんとなく、うまくいかないと思いつつ、夫に頼って生きていたと思います。

そういう意味では、夫に感謝しています。

…お誕生日、やっぱりおめでとうと言われると素直に嬉しいですね。

私にとっては生まれた日。

母にとっては私を産んだ日。

やっぱり母と娘にとっては特別な日ですね。

産んでくれてありがとう。

 

 

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