なぜパパだったのか⑤

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<この記事を書いた人>

私が日本に帰ってからの話。

私はアルバイトをした後、小さな会社に営業事務として働き出しました。
そこは洋服の生地を作っている卸問屋さん。
社長家族と営業男性ひとり、そしてわたしでした。たまに奥様が来て、経理と生地の配色をパソコンでしていて、少しずつ私にもその仕事を教えてくれました。
私の配色したものが、生地になり、洋服になっていく。
私はその仕事が楽しくて、仕事にはまっていきます。
ノリに乗れば彼氏も出来る。
私はパパの事なんて全く思い出す事もなく、公私ともに絶好調の日々を送りました。
この会社なら結婚後も続けられるな、とも思ったし、会社と自分の為に仕事後に縫製の学校にも通いました。
サンプル服を自分で作ったらお客様に伝わりやすいかなとも言う思いで。今で言うリア充ってやつですね。
入社4年目。
社長の奥様が癌にかかります。
私は何も知らず、最近あまり会社に来ないな、と思うくらい。
そんな日が数ヶ月過ぎたある日、社長から
会社は家族だけでやっていきたいんだ。
そう告げられました。
青天の霹靂ってこう言う事を言うのかも知らませんね。
そして、涙を流して奥様の病状を告白されたのです。
わたしの両親と同じくらいの年代だったから、あの時はきっと50代くらいだったのかな。
家族経営ってこう言うことなんだって学びましたね。
奥様でありき、お母さんが大きな病気にかかられる。
色々な事を保つには、家族を守る事が精一杯だったんだなぁと、今ならわかります。
ガラガラと崩れる時は崩れる。
私も付き合っていた彼の浮気が発覚。
ガリガリに痩せて、私は全てを失ったような感覚でした。
26歳の寒い寒い2月の事。
私はパパに連絡を入れようと思ったのでした。
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