なぜパパだったのか④

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<この記事を書いた人>

お坊ちゃん育ちのパパ。

私は本当に極々普通のサラリーマン家庭に育ちました。

親に言いたいことを言ってケンカなんて日常茶飯事の私と、親が絶大の存在のパパ。

何かと育った環境が違った私たち。

友達といえども、私はパパに思うこところが色々とありました。

 

そもそも、人を小馬鹿にして偉そうな節がありました。

世の中をなめてるなと、20代そこそこの私だって思っていました。

20代ってなんでも若さで乗り切れるし、苦労してきた大人たちを小馬鹿にする節がありますよね。

40代なんてただの老いぼれたおばさんくらいにしか思っていなかった。

けど、今となってはいろんな経験を重ねて、その人が出来上がり、そのまた後の人生色々あるけど乗り越えていく、そんな中間地点で、良い年代だなって思います。

経験を重ねれば年配の方にもリスペクトの想いも出てきます。

90になっても若くて綺麗なお婆ちゃん。

私もああなりたいなと思います。


話は逸れましたが、そんなわけで大人を小馬鹿にする世間知らずの20代。

パパはそれを少し飛びぬけているように見えました。

親の力でなんとかやってこられている。留学だってできる人とできない人がいる。

パパはそんな恵まれたに感謝もせず、当たり前のように世の中を見る人でした。

 

ちょいちょい発言がムカつくんですよ(笑)。

アメリカに行った時、さも自分がアメリカ人かのように、日本を小馬鹿にする発言を連発。

一緒に暮らしてて、とっても情けないなーと思ったんです。

そういうこともあり、私とパパは友達以上になれなかった。

楽しくても尊敬できないって感じでした。

 

私たちは帰ってから、疎遠になりました。24くらいの事かな。

メールもあったけど今みたいな感覚じゃないし、基本エアメール、手紙ってやつですよね。

だから距離があれば心の距離ができるなんて簡単。

私たちは自然にお互いの生活に戻っていくのでした。

 

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