長男のトラブル

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<この記事を書いた人>

帰宅の車内で入電。

かけてきたのは長男でした。

鍵をなくしたみたい。友達のうちにもなかった

と報告がありました。

最近鍵の扱いが乱雑で、ちょくちょく注意していたし、私としては遂にやったかって感じでした。

でも、鍵ってやっぱり大事なもの。

鍵が出てこない想定で、私は帰り道に鍵トラブルのことを調べてました。

途中折り返し電話をかけて、とにかくありそうなこところを徹底的に探しておくようにと連絡しました。

でも、やっぱりテレビを見たりしていたと次男にチクられる兄。

私はとうとうぶちギレてしまいました。

どこに最後置いたのか、どういう状態で置いたのか、最後にガキを置いた記憶は?

私の前では平気で泣くんですよ。いとも簡単に泣く。

そして挙げ句の果てに、

僕はちゃんとやっている

と言い張る始末。

この状況でよく言えるなーと、油に火を注ぐ発言。

いよいよかというときに、お友達から電話がかかってきてガキが見つかったという連絡が入りました。

途端に勝者の表情の長男。

遂に私は大爆発しました。

だいたい、悪いと思っていないでしょ!

鍵っていうのはパパのおうちの一部。パパが大事にしていたうちなんだから鍵をなくすなんて以ての外!!

というような感じで長男を責めました。

そしたら、

友達には悪いと思うが、お母さんには迷惑かけていないでしょ

だって!

今思い出しても腹が立ちますが、本当に正気か?と私の育て方を疑いました。

鍵のことを調べたり、鍵がないってハラハラしたり、どうしようか考えたりしたんだということ、鍵が大切なものということ。

一つのトラブルで、周りの人の余計な手を煩わせていること、結構くどくど説教していしまいました。

長男は小さな頃からプライドが高いと言われたことがあり、素直に「はい」と言えなかったり、謝ることが苦手だったり。

とにかくそういう部分が多くて、人のせいにもするし、いつか人が離れていってしまうんじゃないかと心配です。

でも、私もかつてはそうだったし、今でも謝るってすごく難しい。

大きく変わる時って、自分が辛い思いをして、助けてもらった経験をしたからかも。

今までは生きていることが当然だったり、自分一人で生きているような気持ちでいることが多かった。特に若い頃はね。

でも、そうじゃないって気付いた時、今生きていることが当然じゃなくて、今ここにご飯があることが当たり前じゃないってわかる時に、色々と生きやすくなるんですけどね。

つまりとてもよく考えると、彼は父親がいなくとも、あまり苦労もせず、生きることが当たり前くらいの感覚で生きられている。

ある意味幸せに育っているということなのかもしれません。あー、前向き。

小さなことに感謝したり、相手の立場に立ってものを考えられる力ってどのくらいで付いてくるものなんでしょうね。

よくわからないけど、素直にはいと言えて、ごめんなさいとありがとうを素直にたくさん言える子になってほしい。

私も家であまり一定なのかも知れません。

自分を省みて、変えてみて変わるといいなと愛される息子になってほしいなと思います。

鍵が見つかって本当に良かったー。

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