宗教

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<この記事を書いた人>

死別した直後、宗教関連のものがポストに頻繁にい入りました。

誰にも言っていないのに、何でわかるのでしょうね?骨壷を持って入るところとかを見たのでしょうか?

そういうこともすべて、とても不思議でしたが、とにかくそういう「拠り所」があなたに必要ですよ、ということを言いたかったのかな。

正直その時の私は不快感しかなかったです。

 

そして、しばらくしてから知り合った方がお互いシングルでご近所だったので、お茶しましょうとなりました。

夫のことを話したら、ある宗教で私は救われたからといって宗教の話になり、いきなりこれから上の人?のところに行きましょうと言われて、その上の人に家でお経を読んでもらったことがあります。

ついていく私も私ですが、その時の私は「この人はこれで本当に救われたんだな」という妙に冷静な感覚で、それきりお会いすることはありませんでした。

私は、別に宗教が悪いとも思っていませんし、とても良い教えばかりですよね。神社やお寺の前を通ればなんとなく素通りできずにお参りをしています。

ただ、特定のどこかの団体に所属するほどの余裕はないし、当時は出向いて祈願?する元気もありませんでした。

でも、結婚当初パパに結婚て宗教みたいだね、私はパパ(の名前)教だね。なんて笑って話していました。それほどまでにパパを信じていた、という意味で。でも、教祖様?はいなくなってしまいました。

信じるものがなくなってしまって、本当に何も無くなってしまった。

それに代わるものは私の中にはなくて、最後に残ったのは自分自身それだけでした。

まだまだ確立するほどではなく、揺らぐ気持ちも日々あります。でも、自分の信じる=自信はこうやって、地道に辛いことを乗り越えながら、付くものなのかなという感覚は何となく分かるような気がします。

 

でも、私たちは寂しい時辛い時、何かにすがりたくなるというのもわかります。

そこに、自分が良いと思っていることをただ勧めているだけのことなんでしょうけど、自分がある程度落ち着いて考えられる時に冷静に判断して、人生を選択していけると良いですね。

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