なぜパパだったのか②

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<この記事を書いた人>

なぜだか人のご縁を考え始めて、パパとの強い縁の話をしたくなり、そこらへんにいるただの素人ですが、思い出話を綴っています。

学生時代からの男女の友情を育んだ私たち。

夫には彼女がいましたし、その彼女は私の友達でした。

3人でつるむ事もあったし、もっと大人数で遊んだりもしました。

その流れでパパの実家にも遊びに行ったりもしましたね。

マリオカートをよくやりました。

学生時代の切ない思い出はまた別に機会にしますが、アメリカの話に戻ります。

私はプー太郎になり、パパの元に転がり込みます。

パパは受け入れてくれて、アメリカでのプチ同居生活が始まりました。

一緒にスーパーに買い物にも行くし、ご飯当番を決めて料理を作ったり、作ってもらったり。

当時の私は料理が全くできず、カレーを作った際に辛くならず、唐辛子を大量に入れ、パパを驚かせたりもしました。大爆笑したなー、若い。

パパの友達を交えてご飯食べたり、二人でご飯食べたり、はたまた全く別行動したり、そんな自由気ままな時間を穏やかに過ごしていました。

まぁ、そこでパパはとても私に気を使ってくれていたのだと思いますが、私はなんというか空気のようにパパの存在を感じていたんでしょうね。

いつも自然体でいられたし、私は私って感じで、男でも女でもなくいられた。

そんな穏やかな日が続きました。

 

帰国を後1週間後に控えたある日、来たのです。

まさかの義母と義姉が!!

私は来る当日まで全くそのことを知らなかったんですよ。

いや事前に知っていたら、きっと彼女たちがくる前に帰国していました。

でもパパったら、全然教えてくれなくて、しれっと会わせて、ご飯食べに行ったり、ビバリーヒルズにお買い物をしたりしたんですよね。

これは今考えるとご縁があったんだなぁって思うわけです。

 

当時、義母は超絶驚いて、やや問題になったようなんですが(最近義姉から聞いた)、表面上はすごく気さくな〇〇(パパの名前)くんのお母さんでした。

私は、ご飯をご馳走していただいたり、一緒にお買い物に行ったり、今考えると、今も似たようなことをしているわけですが、とてもよくしてもらったなーという思い出なんですよね。

海を飛び越えて、将来のお母さんとお姉さんに会うっていう・・・。

そんなタイミングってあるんでしょうか?

まぁ、義母にとって留学中の息子の所に転がり込むようなぶっ飛んだ私を、その後嫁にもらうなんて、思ってもみていなかったと思います。

 

ご縁がある人ってこういう偶然?必然?があるもんです。

本当に運命のイタズラ。

私の運命のイタズラって本当に子供がするイタズラみたい。

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