日常が変わる、日常を変える

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<この記事を書いた人>

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緊急事態宣言が明けました

子供たちは朝からボーイスカウトの活動に行っています。

私は、一人でランニングをして、一人静かに朝を過ごしました。

少し前まではこれが日常だったのに、なんだかとてもありがたく感じます。

日常が逆転していた日々を私たちは送っているのですね。

コロナ禍で強制的に日常が変化しました。

家族への関わり方、仕事の仕方、時間の感覚すら変わったように思います。

夫を亡くして、強制的に日常が変わった経験をしていると、このコロナ禍の日常の変化はとても緩やかにすら感じますが(苦笑)。

変化したことに対して、受け入れることから始まります

変化したことに、対して、戻りたい戻りたいと思っても、それは戻ることはありません。

だからと言って考えちゃいけないわけではないんですよね。

その気持ちを大切にしつつ、新しい自分たちの生活を整えていくのです。

子供たちと思いっきり今を楽しんでもいい。

その時に、ここにパパがいたらよかったねとか、そう言う感じで「戻りたい」と言う気持ちを共有してみるとかね。

もう戻らないから、嘆いても仕方ない。

笑って過ごさなければ故人は喜ばない。

それはごもっともなことなのです。

頭では分かっていることだよね?

でも、心は別だから、頭の処理スピードと心の処理スピードは違います。

時間差があって良い

心と頭の処理時間の差があるんだと言う認識をしておけば良いです。

頭では分かっているので、そのうち心が追いついてくるから。

追いつかなくても近づけば上出来くらいに思っておけば良いと思います。

コロナ禍においても、たくさんの制限ができました。

そこから新しいサービスも生まれ、日常化していますよね。

私たちもそうで、自分たちの死別後の新しい環境に対して、とても不都合や不便が生まれます。

それをどう快適にするのか、その快適を日常にしていくのか、必ず見つけられますよ。

日常を常にアップデートして、変化していくもの

正解は誰かが決めたたった一つのことではなくて、あなたの中にある。

それには、ゆるく、そしてわがままでも良いから、自分の心地よさを探ればいい。

それは夢物語だけじゃなく、現実的な部分も考慮しながらなら、実現可能です。

よくわからないな〜って思うなら、コロナで自分は何が変わり何を受け入れ、今どう過ごしているのか?

何も変わっていないと言うことはないと思います。

それ思い返せば、相応に自分は変化して順応して生きていける力がある証拠。

緊急事態宣言が明けたからと言って、コロナ前の生活に戻るわけではなく、また新たな日常が始まりますね。

もしかしたら、それと共に死別という変化も経験しながら生きてきているのは、相当タフなのかもしれませんね。

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