死別経験が自分の自負になる

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<この記事を書いた人>

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長男の学校が始まりました。

学校が始まってくれて、私の心と頭に少しだけ余白ができました。

コロナ2年目の夏休み。

今年も色々予定が狂い予測不可能でしたが、終われば終わったで、新しい何かが始まります。

その渦中にいると本当に混沌としますが、やっぱり時は平等に流れていて、終わって振り返ると、毎日その時の精一杯で生きていたなと思います。

私は、本当に疲れていました。

特に反抗期真っ只中の長男との時間がしんどい夏休み。

思春期時代をまだ覚えている若い人と関わる

私は週1程度トレーニングに通っていて、そこのトレーナー(20代男子)さんにちょっと愚痴ったのです。

きっかけは、ここのところとても疲れていますね、と声をかけてくれたから。

彼はまだ若いから、反抗期の記憶も鮮明。

その時の自分の心境とか、親への思いとか、移り変わる心境の変化などを笑いながら話してくれました。

私と長男とのちょうど中間くらいの世代の男性に話を聞くことができて、私はなんだか救われたんですよね。

本当にありがたいです。

ちょっとだけ理解できたというか、うちだけじゃないんだという安堵感。

正直パパがいない不都合さを時々感じます

男の子が何を考えているのか、どんな世界に見えているのか、母をどう見ているのか、全く未知。

会話も成り立たないので(苦笑)本当に、何が何だかわからない。

ここでパパならなんて言うだろう?と思っても、正直わからないんですよ(汗)。

だから、今まで穏やかだったパパへの想いも微妙にイラッとしたりする日も増えました。

ここで夫がいたら、分かち合えるのに、とか思うんだなぁと泣けてくる日もあります。

でも、混沌とした(笑)夏休みが終わり、彼とのいい距離感が戻ってくると、それなりに自分にも余裕が出てくるのです。

やっぱり死別で、真っ暗な中から、出口に導かれたように、時とともに私も色々な出口に向かっています。

その都度出会う人の言葉や、気遣いを通して、私は頼りながら前に進みます。

それは、死別での苦しかった道のりとはまた違った道ですが、でも基本は変わらないという感じがしています。

だから、なんとかなる、なんとかできるはずと言う、自負を今日また一つ気がつけた日になりました。

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