死別後幸せの感じ方がいまいちぼんやりしている方へ。

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<この記事を書いた人>

ずーっとここに釣り堀がある事は知ってたけれど、行くのは初めて。まだ知らないこと、経験した事に溢れている。
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次男との時間

少し前まで、男二人兄弟いつも一緒にいて、仔犬のように戯れて騒がしい日々が日常でした。
長男は中学を手前に、私の誘いにはもう乗らなくなって来ました。
鉄道好きの長男。
目的地もなく、公共の乗り物を「ただ乗るだけ」の休日をどれだけ過ごしたことか。
今とはそれが身になり、休日彼は一人で楽しむように。
次男は基本的に家にいて、映画を観たり漫画を読んだり、私と一緒に楽しめる趣味。
今までは長男の電車に付き合っていたので、次男の手が離れれるまでは、お互い無理のない程度に楽しく過ごそうかなと思っています。
先日インスタにあげたのですが、次男と釣り堀に行きました。
お天気の良い休日。
とても穏やかな時間でした。
ただ、彼は凹みやすい。
私と同じで、隠れ負けず嫌いなので、すぐに釣れないことに苛立ち悔し泣きをし始めました。
釣りって、のんびり釣れるまで待つのも楽しみなんじゃないの?
と声をかけると
もう釣れない、あれもこれも上手くいかない
とふて腐れモード。
釣れないと思うから釣れないだけじゃない?
と言い、負けず嫌いの私は
ママは絶対釣れると思って釣る!
と宣言し、大きな鯉を2匹釣りました(笑)。
釣り上げた時に竿を持たせてやり、それだけでご満悦。
私も有言実行できて嬉しかったですね。

本当にそう思っていたらできる

そうなりたいと思っているのに今そうじゃない場合は、どこかで「できない」と思ってブレーキをかけているか、今それが必要じゃないと(心の奥底で)知っているか、なんだと思います。
それは死別の悲しさとも似ていて、どこかで今のままであることが必要だと思っていたり、悲しさを解消できることをまだ信じられていない状態。
私は、完全には夫を忘れることなんてできないし、悲しみも完全になくなるわけではない、と思っています。
でも、それと同時にそれと今の自分は別で、私は私で幸せになることができるし、その価値があると思っています。
だから、今の生活とも折り合いがついているのかな。
死別後も、心の底から幸せを感じた瞬間をたくさん経験させていただいています。
私たちは幸せになれるし、その価値があります。
信じるものは救われる。

 

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