自分の求めているものは何か?
私は夫と死別するまでは、「守られること」が大切でした。
誰かに守られて生きる事が安心で安全な生き方だと思っていました。
しかし夫と死別をして、12年少しずつ自分の足で立てるようになってくると、もっと自由になりたいなと思う様になりました。
自由とは、かなり不確かでかなり漠然としたもの。
でも、いつも私は自由を求めているように思います。
思えば徐々に近づき、そしてゴールはないものだなと。
不自由さの中に、自由があるような気もしています。
その中でどれだけ自由に生きていけるのか?
自分でその自由を選んでいくのかは自分次第。
それで、あぁ自由だなと思えば、また新たな自由を探すので、さらに自分の枠が広がるのかと思います。
自分はどんな生き方をしたいのか?
明日がこうだと分かる生き方がしたいのか?
来年どうなっているかいい意味で分からない自分でいたいのか?
そのゴールを考えるだけでも自分の選択肢が変わります。
今までの自分なら明日が分かっている方が安心でした。
明日も明後日も大差なく変わらず、穏やかでそのなかでいられたら良いと思っていました。
でも、今まで生きてきて、その選択肢をしてきて後悔がある。
もう少しチャレンジしてみればよかった、もう少し自分を信じればよかったという思いです。
何かを守ろうとして言葉にしなかったことで苦しい思いもたくさんしたなと。
50歳に少しずつ近づき、私自身が複雑にして、自分の心地よさを自分から遠ざけていた部分もあるなと、少しだけ後悔を思う様になりました。
まだ子供たちを守らなければいけない立場でもありますが、自分が守りに入ったら、きっと彼らも守りが価値と思う様になるのかもしれません。
大切な人たちと時間を過ごしたい。そう思います。
自分に期待したい。そうも思います。
34歳で夫が亡くなり、夫が亡くなったことで守られていた部分もたくさんあります。
13回忌という私の中で節目の年に、いろいろな想いが交差しています。
私の周りには生き生きした50代女性がいらっしゃいます。
こどもが離れたらかなり自由になるとおっしゃいます。
その時に、これでは遅かった!と思うことが無いように、何を選択するのか大切になってくるのかもしれませんね。
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