父のお見舞い

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<この記事を書いた人>

食道がん、余命宣告をされている父に会いに行きました。

今日は土曜のため特に検査などもないんでしょうね。やる事がなく、ただ病室にいるのも一日が長く感じるのでしょうね。
私達がお見舞いに来た事、喜んでいました。
普通、思い出話をするなんて、どうって事ないんだけど、余命宣告されているだけで、思い出話ってとてもとても切ないものになるんだと思う感じました。
私は何も変わらずに父と話せると思っていたのですが、なんだか泣けました。
息子たちも連れて行ったのですが、特に長男は一緒に尾瀬に行ったり、じぃじ孝行の子なので、そんな思い出話をいていて、孫とそういう思い出があってよかったなと思うのでした。
父としては、兄を傷つけてしまった事を謝れたので、それを私に報告しました。
ずっと心に引っかかっていた事を降ろす事ができ、安堵の表情。ここまで来ないと謝る子供できないなんて、大人って複雑ですね。
私と小一時間話しをしましたが、父の生い立ち、心に溜まっているもの、だまって話しを聴くのもいいかなとおもいました。それこそ、産業カウンセラーの勉強をしてきて、カウンセリングの大切さを学びました。
父のずっと心に溜まっているものを少しずつ吐き出させ、整理する手助けになるのもいいのかも。それが私のミッションなのかなぁなんておもいました。
私は父に言いたい事を言ってきました。喧嘩もたくさんしたし。
その関係ってやっぱり病気云々関係なく変わらないんですね。今日、言いたい事、言えちゃいました。
それはありがとうという事。
いざという時、やっぱり一致団結出来るこの家族が愛おしいし、この家族で良かったという事です。
父は偏屈だったけど、やっぱり嫌われ役が一人いたからこそ、こうして一致団結できてるのかもしれません。そんな話しもできました。
ただ、はっきりした方針はまだ先生こらお話しは無いので、もしそういう事ぜんぶひっくるめてわかったら、私に、父から、父の言葉で私に伝えたい事を一言紙に書いて伝えて欲しいと言いました。
それを受けて、私も何か本当に伝えたい事を父に言いたいと言いました。
天命を待つと父は言っていました。
脳梗塞をしているため、微妙な表情は分からないけど、本当に毎日が当たり前じゃない事は確かです。
それって私達だってそうなんですけどね。
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