父と父の友達Tさんは昨年の秋、同じ頃、同じ食道がんステージ4を宣告されました。
父はステントを入れ、癌は温存。食道を広げただけ。
Tさんは手術をして放射線治療。
二人は違う選択をして、違う闘病生活をしました。
父はステントを入れる前、癌が食堂を狭くして、食事を摂るのが難しかった。
癌がわかったのも、食事を戻してしまうことが増えて、食べられなくなったから。
しかし、ステントを入れた後は、しっかり食事も摂っていました。
当初は日課のウォーキングもしていましたし、母と食べたいものを好きなレストランへ行っては食べる。
とにかく自分が思いつくことをしていました。
年末には家族で(妹は妊娠中のためいけませんでしたが)箱根へ旅行へ行き、そこでも美味しいレストランで舌鼓を打ちました。
私も、それはとてもいい思い出で、あの旅行に行けたことで、今悔いが残っていない理由の一つになっています。
私はお見舞いに行っても、自宅ですから、父と食事を摂ることもありました。
そういう意味で自分は特に生活が変わったわけでもありませんでした。
そんな感じなので、母の用事があるときは私が留守番をしたり、場合によっては自宅勤務という形を取らしてもらって、実家で一日パソコン仕事をこなすこともしました。
母もたまに息抜きできたのかなと思います。
むしろ父は私たち以上にお菓子も食べていましたし、最後に熱にうなされながらも「腹減った」と言っていて、みんなで笑ったのも覚えています。
一方Tさんは、手術後お食事は取れなくなり、胃ろう生活。
声もほとんど出なくなったそうです。
かすれた声でお話をしていたそう。
奥様は食事がとれない旦那様の目を気にしながら、隠れてお食事をとってるとおっしゃていました。
また、かすれた声でお話しされているので、ふと呼ばれたような感覚を持つ。
実際呼ばれていても気が付かずに、叱られたことがあるようですね。
奥様はうちの父に手を合わせに来てくださったとき、うちの父の選択はよかったんじゃないかとおっしゃっていました。
Tさんはそもそもステントという提示は無かったらしいです。
今も自宅から放射線治療のに通われているそうですが、そろそろ覚悟をしてくださいとドクターから言われたそうです。
まだ、頑張って治療されていることも事実。
私は、何がいいとか悪いとか、それはわからない。
ただ、言えることは父が自分で選択したことを受け入れたことで、私自身後悔がないということです。
そして、最後の最後まで会話ができたことで、自分の思っていたことを伝えられたし、苦手だった父のことを理解しようとしたし、私なりの理解を得ることができました。
それが、私の課題だったんだと思います。
父と、命と、向き合うことが私の課題だった。
夫とは、ラブラブで見つめ合うことはしていたかもしれないけど、向き合うことまではできなかった。
夫の死を経験し、死と向き合う父と対峙し、私もそれを通して、より生きていることや命について考えを巡らせました。
私たち家族にとっては、父の選択をリスペクトすると同時に、私たち家族らしい最期の時間を過ごせたと思います。
人生は選択の連続です。
何を選ぶかで人生が大きく変わってしまう。
でも、後悔しても仕方ない。
受け入れて、進むしかない。
私は父の選択もTさんの選択もどちらも正しいと思います。
どう取るか、どう映るかはあなた次第。
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