自分の人生は間違っていなかったか?

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<この記事を書いた人>

父がとても苦しそう。

今日も顔を見に行ったのですが、椅子に座っていて驚きました。

横にずっとなっているのも、辛いみたいです。
体に貼り付けていた麻薬の枚数も倍になりました。 
薬も飲めず、食欲もない、水も少しずつ飲んでいる状況。
熱は下がったよ 
と言っていますが、実は薬を飲めないので、座薬を入れたんだそう。
汗をすごいかいていて、冷たいタオルで汗を拭いてあげると
気持ちいいなぁー
と言ってました。
母が給油をしなきゃいけないと家を空けたので、私は父と二人少し話をしました。
息は絶え絶え、ヒーヒーしながらですよ。
父は夏まで命が持つと信じているので
あともう数ヶ月で俺は死ぬんだ。
どうやって死んでいくんだろうと考えるんだ
と言っていました。
苦しんで逝くのかなぁ、寝ているうちに逝くのかなぁ、
と。 
だから、
私だって、どう死ぬのかはわからないよ。みんな同じだよ
と言っては見たものの、その言葉自体なんだかとても虚しく、意味のなさを感じました。
俺は、もうすぐ死ぬ。
俺の人生、間違っていなかったのか?
と聞かれました。
なので、私は、
私は(夫の死別で)色々あったけど、それでも支えてくれた家族が居たんだよ。
その家族を作り上げてきたのは誰?お父さんでしょ?
私はこの家族でよかったって思っているし感謝している。
だから絶対に間違っていないよ。
と言いました。
不思議と涙は出ませんでした。
ただ、自分の言った言葉にすごく納得をしました。
兄妹今の所誰も曲がる事なくそれぞれに家族を持ち、いざという時は強力してくれる、頼れる家族になっている。
だから、それって本当は当たり前のことではなく、とても尊いこと。
私は、「普通」という言葉がどれほど価値のあることか、知っています。
父の今の状況が、「健康」が普通と仮定すれば、普通では無い。
結婚して夫婦揃っていることが普通と仮定すれば、私は普通では無い。
だから、普通ってすごく尊いし、本当は普通は普通では無い。
その普通では無い状況にいながら、そんな父を目の前にしながらも私は幸せを感じていました。
いくら父が目の前で苦しそうにしていても、私は父を、この家族を思えば、幸せで仕方ないのです。
父に対して、人生の大半を嫌悪感でいっぱいで過ごしてきました。
父の一番奥底の死ぬことへの不安と生きることへの異常な執着をどう扱っていいのかわからずに、手探りで探していたことへの違和感だったのだと思いました。
それは、苦労して生きてきた父にしかわからない感覚で、それに相反して、私は家族に恵まれていて、父の不安にすら気付けない、ある意味幸せな人生だということなのかもしれません。
自分の人生は間違っていなかった。後悔はない
と父は自分では言うものの、家族に問いたいのだなと思いました。
言葉で、きちんと聞きたいんだな、と。
間違っていないよ、絶対に間違っていない。
私は強く、強く言うのでした。
父の荒い呼吸の音に負けないように。
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