先日、超自由に子育てしている人とご飯を食べに行きました。
お子さんが二人いて、自由教育で寮生活。
ご自身は離婚の経験者。
その離婚でとてもとても辛い思いをしたんですが、自分ととことん向き合って、結果的に円満離婚して、今もなおいいパートナーとして家族として成り立っているんだとか。
自分を受け入れる、相手も受け入れる。
許すとはまた違う、個として相手をみる。
そして、ここは私は目からウロコだったんですが、離婚の話し合いは子供を抜きにして
自分は、はたまた、自分たちはどうしたいか?
というスタンスで話し合いをしたら、今の形になったとおっしゃっていました。
それは私の中でとても共感しました。
私は、夫の死という形で夫と別れたので、あまり考えたことはないのですが、考え方の基本として取り入れるととても楽になるのかなと思います。
私たちは家族ですが、その前に個々の一人の人間ですね。
例えば、離婚が頭をよぎった時に、
子供がかわいそうなんじゃないか?不憫なんじゃないか?
と子供を理由に我慢している方がたくさんいらっしゃる。
でも、それはただの言い訳であって、まず自分という個がある。
自分はどうしたいか?自分の幸せは?
↑これを子供抜きにして考える。
そうする自ずと答えが出ますよね。
子供をまず考えると、子供を言い訳にして、実は依存している自分を正当化している場合もあったりします。
私たちは本来自由で、幸せになるために生まれてきています。
でも、幸せになることも、今辛いと感じていて、そこにとどまって辛い中にとどまることも実は自分で決めている。
辛いのは環境のせいではなくて、そう決めているから。
私は、辛いトンネルの中でも、きっと光に向かって行きたい。
本来持っている「幸せに成りたい」という本能が勝って、それにはどうするか選択してきたのかなと思えたら、とても自由な気持ちになりました。
まず「自分」ありき。
自分は幸せになりたいか、そうではないか。
そして、それを決めるのは自分です。
子供がどうとか、環境がどうとか、それをまず脇に置いて、自分はどうしたい?
そこなんだなと思います。
私も自由だし、子供だって自由に自分の楽しいと、やりたいと思うことを自由に選択できます。
学校教育の中では限界があるかもしれませんが、でも出来る限り自分で選択して自分の人生自分で責任を持つことで、納得できる人生になっていくんだなと思いました。
その人に、
死別の経験があってよかったですね
と言われて、正直それが嬉しかったんですよね。
誤解をしていただきたくないのですが(ここまで話すと誤解するのもしないのも受け手の自由なんですが)、夫が亡くなってよかったという訳ではないですよ。
ただ、夫が亡くなってしまったこの人生でも、この人生でよかった!と思えるような人生にするというのが私のテーマでもあるから。
どんな経験も少し高い位置から自分の人生を眺めてみると一つの経験でしかありません。
そして、その方が言っていたのは、
自分というのがどういう人間か、実はよくわからなくて、色々なものに我慢して我慢していることすら気づくこともなく、なんとなくもう少しいい人生にしたいなぁと思っている人はたくさんいる。
そこが点数でいうと40点だったとして、自分が80点、90点を取れるのに、自分が40点であることすら気付かずに人生をさまよっている人が大半でしょ。
でも大きな負荷(例えば、死別とか、離婚とか)がかかると、実は80点にいく近道だったりするんだよね
と。
私は、その方の言ってる意味はすごく納得できました。
私は、夫の死という分岐点で、人生が大きく転換しました。
夫との日々は楽しかった。生きていて欲しかったというのは正直な気持ちですが、
その時夫に依存していた自分に戻りたいかというと、戻るのはとても怖い。
実際時計を逆回転させることはできませんが、あの時の自分より今あがきながらも自分の人生を自分の足で歩んでいる私の方が好きなんですよね。
ここまで行き着くまで、色々ありました。
向き合いことも辛かった。
でも、幸せになりたいと思って、自分なりに選択して今日があります。
それを決めてきたのは紛れもなく自分で、誰のせいでもない。
私はただ、それが突然そういう自分で決めなきゃいけない世界へ放り出されたようなものなので、荒治療だったなと思いますが(笑)。
でも、こうでもしなきゃ私は変われなかったんだろうなとも思います。
夫からの最大のプレゼントだったのかも?
そこまで思えたら、すごいなー・・・。
まだまだその域には行っていませんが、でもそれを決めるのも自分。
自由だー。
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