夫と過ごした場所で。

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<この記事を書いた人>

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一人時間を満喫

Instagramでもあげましたが、金曜日〜1泊で、お暇を頂いて東京池袋のメトロポリタンホテルに滞在。

チェックアウトギリギリまでゆっくり過ごしました。
池袋はもともと亡き夫が一人暮らしをしていて、そこへ私が引っ越しをし新婚生活を過ごした場所でもあります。
そして飯田橋にある同系列のメトロポリタンエドモントは、私たちの披露宴を挙げたホテルでもあり、何かと色々と思い出が蘇りました。
ホテル側の出口は、正に新婚生活を過ごした家まで行く方面で、そこを降りた時に、懐かしさでいっぱいになりました。
池袋の街自体があまり変わっておらず、懐かしいなと思う反面、本当に久しぶり過ぎて、記憶も曖昧で迷子になったりもして、すごく時が経ってしまった感じがあり、なんとなく切なさも感じました。
歳とっただけかしら(汗)。
逆に言えば、あまりにも記憶が鮮明な時にこの場所にいたら、こんなに心地よい懐かしさは味わえなかっただろうなと思います。

夫との思い出の場所に行くことについて

旦那様と過ごした場所に思い出してしまうから辛くて行けない方はたくさんいます。
私もかつてはそうでした。
それこそ、夫のお墓の場所は一緒に過ごした学校までの通路と同じです。
学生の頃、夫の車に乗せてもらった道です。
それを1人、亡き夫のお墓に向かう道になってしまったなんて、すごく切ない。
これからの桜の時期。
夫はソメイヨシノが大好きで、桜が咲き始めるとよく家族で桜を見に至る所にお弁当を作っては出かけていました。
だから、何をしてもどこに行っても、また、どんな季節になっても、一緒に過ごした時間があるのだから思い出が溢れてくることなんて当たり前にあるのです。
思い出は色濃く鮮明に残っている場合は、「失ってしまった」方に意識が向きがち。
私の場合は、それは時と共に、今ないことが寂しいとか辛いとかではくて、人生でそんなに楽しく素晴らしい時間を過ごせたこと自体が素晴らしいのだと思うようになりました。
それには、やっぱり今の自分を肯定的に受け入れられたからだと思います。
自分の人生を否定的に見ていると、本当に全てが欠落しているように感じて、それを増幅させてしまう。
旦那様と過ごした時間が素晴らしいものだからこそ辛いと思うのならば、逆にそんな時間を人生で過ごした自分って本当に素晴らしいんだと誇りに思って欲しいんですよね。
無理矢理そう思い込むと言うのも違うのですが、時間をかけて夫との時間を思い出すことで捉え方を変えました。
だからこそ、私は、自分時間を過ごすことを素直に許可を出し、1人時間を楽しめたのかなと思います。
4月から、少し新しいことに挑戦することを決めました。
その打ち合わせを、そのホテルでしました。
また新たな自分への挑戦への打ち合わせを、この縁のある場所で、決意の如くしたことも、自分の中の「ケジメ」のような気持ちになりました。
一旦区切りをつけるために私はここに来たのかもしれません。

 

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