死別的親子論?

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<この記事を書いた人>

やっぱり親子って色々ある、とつらつらと書きました。

じゃあ、一体どうやって?

と答えを探している方、もしかしたら私の想像をはるかに超えていらっしゃるんじゃないかなって思います。

結局そこに行き着くのね、と悩みを深掘りすればするほど親子間の問題に行き着く方が仕事をしている中で本当に多いから。

と言う当の本人の私が、まさにそれでしたしね。

私はこのブログ上で、自分の思うことを思うがままに正直に書いています。

思い出しながら母とのことを書いてきました。

私の「方法」はプロのカウンセリングと言う場で、その道の専門の先生に導かれながら、自分の思いをとにかく吐き出しまくった事ですね。

それで、親に言いたい事、言えそうなことを実際に言ってみる。

傷つくこともあるし、母の事をもしかしたら傷つけたこともあったのかもしれません。

でも、言うことって訓練。

逆も然りで言われることも訓練なんですよね。

特に、私はカウンセラー養成講座で「聴く」ことの練習をしていましたし、母は結構聴ける人だったから良かったのかもしれません。

きっと親子間って、ズケズケ言いやすいから、話が終わる前に言葉を被せてしまって、「聞いてもらえなかった」と言うことが積もり積もって不満や理解されていない感覚になるのかもしれないなと思います。

私は母が父の看病(父は食道がんで余命宣告を受けています)、介護の話をし始めたら基本聴く側に徹します。

そして共感をしますし、そんな中でも良い点を見つけます。

最終的には良い点を見つけるっていうと、その人を肯定できている感じに収まります。

やってみるとやってもらえる、そんなかんじで私たちは試行錯誤しながら、夫が亡くなってから8年かけてお互いの頑張りを認められるようになりました。

これが即効性があるものはありません。

時間をかけて、認めてもらえたかも、認めたかもを繰り返し、その「かも」が本当に認められるようになっていきました。

今は結構素直に認めてくれるし、私も母を素直に認められるようになりました。

親子って本当にその家庭で違いますし、親子でも人が変わればまた関係性も違います。

そもそも求めるものも違うしね。

私の場合は、寄り道しながらでもうまくいったケース。

どうしても相容れない親子関係っていうのもあるんだと思います。

そういう友達もいますが、本当は心の奥底で愛してほしい、気にかけてほしいってきもちがあるんだなと思いました。

ずっとずっと求めてしまうものなのかも、とも感じたりして。

親子のことって、難しい。

根性も気力もいる。

うまくいかないと普通のうまくいかないとは程遠い落とし穴が待っていたりして、痛手が大きかったりします。

でも、求めてる、の堂々巡り。

私は、母もきっとキャリアウーマンの祖母に育てられて、寂しかったんだ、と認めて、私がある意味全力で向かったからいい意味で気楽な、求めることも求められることもない親子関係になれたのかもしれません。

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