死別後、体が緩んだ時

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<この記事を書いた人>

死別後、実は私はすこぶる体調が良かった時があります。

ある意味私が、何者でも無くなった時です。

正確には、自分が何者か全く見失ったことき、と言い換えてもいいかもしれません。

全て自分の理想としていたものが崩れ去りました。

 

だから良い母であろうとすることもしませんでしたし、良い妻は終わってしまい、良いお嫁さんもどうでも良く、良い娘でもありません。

自分が何者か、何を理想としていいのか、全てまっさらになった死別直後。

あの時しばらくは、気持ちとは裏腹に体調はものすごく良かったのです。

長年悩まされていた便秘は解消していました。

感情の赴くままに泣いていたからか、あの時はすごく深く眠っていました。

だから、肌の調子もすごく良い。

精神はズタボロだったので、すごくアンバランスでした。

でも体調は良かったのは今でもすごく覚えています。

それは、ある意味本能のまま、何にも囚われずに生きていたから。

時間の感覚すらなく、お日様の具合でなんとなく1日を過ごしていました。

誰に何を思われるかも、どうでも良かった。

心の一部は完全にネジが外れていたのかもしれません。

でも、この緩む、力を抜く(当時は抜くというか、入らなかっただけですが)と言うことがとても大事なのだろうと思います。

心が回復してくると、どこか自分を律しようとします。

夫もいないし、子供が大きくなるまでは死ねないな、みたいな感覚です。

そこに付随して、〇〇せねばならないと思い始めるとか。

悪いことではないけれど、それが過剰になるとやはり強張っていきますよね。

結局のところバランスなのですが、あの時の、ある種のどうでも良さは究極だったなと思います。

それくらい、常に自分の一部を緩めておくことが大事だろうと思います。

自分にこうあらねばならないと制約をかけていませんか?

その制約が自分を苦しめ、余計な悩みを増やしていませんか?

悩み人対して、人のジャッジを気にして決められなくなっていませんか?

きっと本能のまま生き始めると、過剰に悩むことが少しずつ減るのかもしれません。

 

体は正直だから。

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