亡き夫を思い出さない日々

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<この記事を書いた人>

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夫のことを思い出す日は少なくなりました

それは忘れるとは違います。

子供たちとも話していても、ふと話したいと思えば自然に言葉になります。

そこで感情が揺れることもないです。

なぜなら、「夫の人生は夫の人生で完結した」と思えるようになったからです。

夫の生前、子供や私との未来を語っていました。

夫を亡くした当時は、夫はさぞ悔しかっただろうと「私が」思っていました。

ただ、それは私の人生で私が思っていること

夫の人生で、夫がもし「やり残しがあった」と悔いながら亡くなったとしても、それは夫の人生で経験しなければいけなかったことなのだと言うことです。

私は、夫の人生を彼の妻として見て感じて、自分の人生に活かし、やり残しのない人生を考えることが私の人生なのだと切り分ける。

子供は子供で、パパも一緒の人生を経験せてあげたいと思う事は「私の人生」。

パパがいたらなぁと思うこと(思っていた場合です)が「子供の人生」。

それぞれの人生で経験しなければいけないこと。

それを不憫に思うか否かは、私の人生で感じることで、子供の人生を決めつける必要もないです。

今は未来へのヒント

切り分けることで、自分の人生の責任を請け負うことができます。

子供とも切り分けて、自分一人の人生を考えること。

切り離すとか、突き放すとかではなくて、切り分けて自の人生を考えることです。

もし夫が生きていたら…と思うことすら否定する必要はないです。

それもそでれ必要だから思っていることだと思えばいい。

ただ、絶対に還ってはません。

その現実は変わらないから、ならば自分はどう生きるかを考える時間を増やしていけばいいのです。

全てこの時間は必要だから降りて来ているわけで、それがいいとか悪いとかではないですよね。

全て未来の自分へのヒントでしかない。

そう紐付けていきませんか。

悩みなんてなくならない

子供の頃から、うまく行かないことがたくさんありました。

それで悔しかったり、諦めたり…そうしながら今があります。

夫がいないことで悩みが深く感じるかもしれませんが、それが全くなくなるなんてことはあり得ません。

悩むことはもっと人生をよくしたいから起こります。

夫を亡くした当時の悩みと今の悩みの質は全く違います。

ただ、最近じわりと幸せを感じます。

夫がいなくたってじわりと幸せだなと思えるのです。

それでも、悩みは起こり続けます。

だから悩みは未来へのヒント。

自分の理想の人生に引っ張り上げてくれるヒントです。

悩みも無いぼんやりした人生の方が味気ないです。

完成形の悩みなき存在は神?宇宙?みたいな、もう壮大な存在です。

そこになりたいですか?

私は今世は人間のままでいたいです(笑)。

だから悩み続けることを請け負いますが、同じ悩みを持ち続けることはしたくない。

悩み自体も進化したいし、悩んだら人に相談したり自分でもがきながらも解決したいです。

その過程が自分の力になることは間違いありません。

そう思えば少しは軽くなりませんか?

悩み自体を進化させれば、夫を苦しく思い出すことも減りますよ。

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