いつ死別するか分からないから「今」を思いっきり楽しむススメ

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<この記事を書いた人>

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「今」という奇跡を楽しむわけ

社会に出ると友達と毎日会うことは稀になります。

家族をいればなおのこと。

相手にも生活があるし、自分にだって日々やることでいっぱいになります。

その中で予定が合い、いざ「会う」なることは、簡単なようで簡単ではないと思いませんか?

タイミングやお互いの気持ちや温度感も大切ですし、それこそ天候なども影響してきます。(本日の東京は台風が近づいています。)

「今日はやめておこう、また今度」となり、気がつけば数ヶ月、1年経っていたなんてこともあります。

そこで、「また今度」が来る場合もあれば、音信不通になる場合だってありますよね。

それこそ、夫のように亡くなってしまう場合だってある。

いつ何が起こるかは分からない事を体験として持っているのだから、「今」を大切に、先送りややり残しは最小限にしたいものです。

たまにしか会えない友達に学ぶ「今」の楽しみ方

フラッと連絡が来る友達がいます。

何度か連絡を取らなかった時期もあります。

もうご縁が薄くなって来たと思って、なんとなくその人の幸せを願っていますというような「締め」のメッセージを送ったこともあります。

でも、なんだかんだ細い糸で繋がっているようで、近況報告をしあったりする関係が続いています。

その人とは、また次はいつ会おうかという話はしません。

私が毎回最後だと思って会うようにしています。

自分の言いたいことははっきり言い、こんなこと言って恥ずかしいかな?と思うことも伝えるように自分を変えていきました。

だからその時間には後悔はありませんし、充実した時間になります。

当たり前のことのようですが、私はこれを全ての人にできているかと言うと全くできていません。

また次会えるだろうと思っているから、約束を先延ばしにしたり、大切なことを伝えなかったり、それこそ、次会えることに期待をします。

期待をすることはワクワクすることと似ています。

悪いことではないですが、悪く言えば「甘え」みたいなものが生まれます。

だから、一番近い人に対して、この「会えるのが最後かもしれない」意識を少しでも持てたら、きっと毎日の充実度が上がるのではないかなと気がつきました。

夫が明日死ぬとわかっていたら

夫があの日に亡くなってしまうとわかっていたら、彼に何をしていて、なんと声をかけていただろうと、死別後何度も考えました。

その友達との時間を過ごして気がついたことは、きっとわかっていても日常通り、特別なことはしなかっただろうと言うことです。

私が彼の話をもっと真摯に聞いてただろうとか、もっと、一緒にいる時間を楽しむ努力をしていただろうと言う「私自信の相手に対する姿勢が違っただろう」と言うことです。

夫との時間に後悔はないと言えば嘘になるけど、特別ではなく日常を楽しく過ごしていた彼との時間は間違っていなかったと言う満たされた気持ちになります。

また何よりも「ありがとう」は、いくら言っても言い切れないと言うことも改めて思いました。

素晴らしい言葉だなと思います。

だからこそ、一番近くの人に「ありがとう」を、たくさん伝えませんか?

それが彼に対して、言えなかったありがとうと言う言葉の代わりにできることだと思っています。

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