苦しい日々

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<この記事を書いた人>

カウンセリングが進むにつれて、本当は私は母に対して、満たされない不満や嫌悪感を持っていることが明らかになります。

ものすごく不思議な不安や恐怖の感覚があって、そういう気持ちを自分が持っていたことが悪いような罪悪感が溢れていました。

いつも母の支援はあって、夜ご飯を作ってきてくれて、晩御飯の話し相手になっていました。

母は母で、夫婦二人だけの生活ですから、孫や娘と話す時間も必要だったんでしょうね。

私と母の時間は毎日のようにやってくるのです。

私はカウンセリングの後は罪を告白したような高揚感がありますから、当の母を目の前にして、もちろん母への気持ちは言えないから、ものすごく戸惑った時間を過ごしていた記憶があります。

悪口を言って、少し言い過ぎたかなって思った時にその人に親切にされる、みたいな感じ(そんな絵に描いたようなシチュエーションもなかなかないかもですが)。

私は、ずっと母に認めて欲しかったり、褒めて欲しかったり、とにかく自分を見て欲しかったという気持ちはあったんだということに気がつきました。

私は子供の頃太っていました。

妹は普通に痩せてて、割と可愛いんですよね。

だから私はいつも何も言われずLサイズのものを与えられ、妹はMサイズ。

それも仕方ないし、わかっていたことではあるのですが、小さく傷ついて居ました。

妹に対して嫉妬の気持ちもあったんでしょうね。

兄は唯一の男の子ですから、期待もあったし、やっぱり母にとっては格別のな存在。

今もそれは変わらずあるように思います。

私は、いつもほったらかしでした。

中学の時は、思春期の葛藤があって、学校には行ってましたが部屋にこもることも多かった。

でもやっぱり母と衝突したことは無かったんですよね。

私はずっと、

ただただ母に気にかけて欲しかったんだ。

それに気がつきました。

パパが亡くなって、私は頑張っていたけど、いつもそれ以上に母が頑張ってくれているような感覚があって、私はいつもいつも「もっともっと頑張らなきゃ」って思って居たこともわかりました。

本当に贅沢なことを言っていると言われても致し方ないのですが、私は母に認められるために、もっともっと自分を叱咤激励してがむしゃらに歪んだ方向で頑張ってしまったんですね。

だから、パパが亡くなったあと、記憶も飛んでしまうくらいがむしゃらだったのかなぁ。

そして、私は母に言いたいことをいつもいつも我慢しているということに気がつきました。

母なりの愛情で私と孫のために一生懸命にお世話をしてくれます。

たまには母との距離を取りたい時、

今日はお休みして、家でゆっくりしてていいよ

と言ったとしても、おかずを揃えて毎日毎日やってくるのです。

私が勇気をだして、伝えた言葉さえも無視されて母は頑張り続けるわけです。

今日は一人でゆっくりしたい。

ひとりで気持ちを整理したい。

そんなときも母は毎日やってきて、その隙すら与えてくれなかったんです。

今振り返ると、私の落ち込みは相当なものでしたから、きっと目を離せないと思ってくれていたんだろうと理解できます。

でも、その当時は自分の根本的な問題に気がついていたので、それがとても苦しかった。

母はなんでこんなにも頑張るのだろう。

母は、何で私の言う事を無視するのだろう。

もしかしたら、私は母と対峙して、そして私の言いたいことを洗いざらい告白する時が必要なのかもしれない。

と日々この問題を重たく考えるようになるのです。

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