未亡人として「こうあるべき」とは?

スポンサーリンク

<この記事を書いた人>

スポンサーリンク

あるべき姿

死別した当初、私は強くあらねばと思っていたように思います。
父親のいない子供達のため、父親というものの強さと、母親の寛大さ、どちらも持ち合わせたような立派な親にならねばならいような気がしていました。
今まで夫に守られていたのに、それとはかけ離れた自分や環境に日々落ち込んで、無理な理想を抱いていたのかもしれまん。
現実は厳しいなぁ…とめそめそめそめそ。
でも、そもそも強さってなんだろう?
自分の中で漠然としたイメージ先行で、どうやってそこに辿り着けるかをわかもわからない。
私は父がいました。
強さを持ち合わせていたのかもしれませんが、それと同時に弱いなと思う部分も子供ながらに持っているような気がしていました。
夫も優しさはピカイチにありましたが、強さはなかったな。
それが居心地が良かったのに、なぜ私は強くあらねばと思っていたのか?と今ではそう思います。

しなやかに

生き抜くには、強さというか、しなやかさが必要なのかなと思います。
友達の旦那さん、ある程度聞き流す、受け流す(笑)、でなんとな〜く自分の考えもやんわり嫌味なく言う。
なんだか居心地がいい?というか、いい意味で可も不可もないのです。
この人なんだかある意味強いな〜といつも思います。
柳のような感じ?
誰かに打ち勝つことではなく、共存すること、距離感を図ること相手も尊重しつつ、自分をリスペクトする、そんなバランス感覚が必要なのかもしれません。
ある時から、父親役も捨て、ある意味母親役も捨て、自分は自分だと言う生き方を選びました。
その方が自分にしっくりくるし、楽だったから。
それには、やっぱり自分を尊重すること。
自分が誰よりも自分というものを尊重し、大切に扱うということで、自分の領域がわかるのです。
「こう」あること、はどの形容詞も入りません。
こうあること=自分らしくあることだから。

 

パートナーを亡くした方のカウンセリング

当事者として、寄り添ったカウンセリングをいたします。

お申し込みはこちら

↓クリックして応援よろしくお願いします。
にほんブログ村 家族ブログ 死別へ

コメント