自分の人生の上映会

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<この記事を書いた人>

山盛りパンを囲んで、おしゃべり。そんな映画のワンシーンがあったら、パン好きの私はワクワクするなぁ。

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もっとわがままに、もっと貪欲でいい

そんな自分は実はとってもお人好しだということに気がつきました。

元々の自分のネガティブを改革してきたものの、根底には根付いているから、意識しないと引っ張られていることがあります。

何か違和感を感じ、大抵それに気がつかされる言葉だったり、事象があるのです。

そこでハッとして、自分を律することで、自分の人生の中心を自分に戻すことができます。

でも、すぐに気が付けるようになったなと、そこは成長ですね。

「これでいい」と思う

最近、これでいいのだろうか?と守りに入っていることが多かったなぁと思います。

死別から10年、生活自体も落ち着いてきました。

だから、その安定した生活を維持したいという気持ちが強くなっているのかなと思います。

死別当初は訳がわかず、自分の判断もままならず、でも、目の前に現れたチャンスには、とにかく四の五の言わずチャレンジしてきました。

迷う暇もなく、やってみる。

トライアンドエラーでいろいろなところにぶつかりながら、心と生活を安定させるために突っ走ってきました。

だからこそ、この今落ち着いてきた生活も愛おしい。

手放したくない自分もある意味当たり前なのかもしれません。

これでいいのかな?

また孤独になるのかな?

みたいな「これでいいのかな?」という気持ちが強くなっていました。

でも、これでいいんだと、ダメなら修正すればいいんだと言う、ある意味死別当初のハングリー精神を忘れてはいけないかも、なんて、ドMな自分を感じています。

ドラマチックな人生を

安定した生活があれば、心も安定します。

これは確か。

でも人生は一度きり。

映画好きな次男にもよく言うのですが、初めから終わりまで毎日同じような生活が繰り返されるだけの映画って面白い?

何か困難があったり、それに挑んだり、失敗したり、それを乗り越えたり、そう言う展開があるからワクワクするし、心が動くんですよね。

私の人生もそうでありたい。

夫の死と言う困難を乗り越えられた自分は、ある程度の免疫がついていて、「人生何とかなる」精神でなんとかなってきた訳です。

だから、これからも「こうしてみたい」をやってみて、うまくいかなけれチャレンジする。

主人公はいつもユーモアと笑いを忘れない私って言うのが理想的。

人生の最期に、私は走馬灯のようにその映画を自分の心に上映し、「なんてドラマチックな作品なんだろう」と思いたい。

人に遠慮する必要もなくて、自分の人生の主人公は紛れもなく自分。

なんかいろいろなことが吹っ切れてきた私。

また自分にワクワクし始めているのに気がつかされます。

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