さまよっていたあの頃。

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<この記事を書いた人>

当時のおぼろげな記憶の話。

私は、完全にさまよっていました。

夫を亡くし、ただもうどうしていいかもわからず、でも何かを何とかしたくて、とにかく藁をも掴むように、いろいろなことをしたんだろうと思います。

がむしゃらに、そして馬鹿正直に。

訳も分からず、履歴書の志望動機に夫を亡くしたことを堂々と書き、面接を受けまくった時もありました。

いや、嘘だ。

面接なんて数社しかないか。

履歴書を出しまくっただけだったんだ。

その中の1社は、一度お金を持ち逃げされたという社長さん。

面接でお互いの傷をなめあい、お互い大変でしたねってなったっけ。

あれは一体どこの会社だったんだろう。

ある素敵な高層ビルでキラキラのキャリアウーマンの女子に、履歴書の書き方を習いに行き、お前らに何がわかるかと思いながら駄目出しされたこともあったっけ。

あれは一体どこだったんだろう。

そういう風にいろいろさまよっていました。

子供達は別の保育園の一時保育で預けて、ギリギリの時間まで預けていたので、お迎えに行く頃はいつも一人。

長男はその頃のことをよく覚えていて、先生と二人でおやつを食べて「寂しかった」って未だに言っています。

一体私は子供を預けて何をしていたんでしょう?

でも、数打てば当たるということで、そのうちに私を心から救ってくれた支援センターのNさんに出会うわけです。

無駄ではなかった。

人生振り返ってみてもやっぱりトンネルの中だった頃は見えなくて、何がどうつながって出口に出たのかはわからないのです。

ただ、必ず出口があって、その中を自分なりに手探りで出口に向かって歩いていたのは確かです。

壁にぶつかりながらも少しずつ前に進む。トンネルだから、壁があるわけですよ。

でも道無き道ではなかったように思います。ちゃんと道は舗装されていて、出口につがっているから。

だから、大丈夫。

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