不安を持つ隙を与えないことで不安が変化する、ということ。

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<この記事を書いた人>

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夏頃、リモートワークについて取材を受けました。記事ができたと、その本が送られてきました。世の中にはたくさんの雑誌があるんですね。取材を受けなかったら、絶対に手に取らない雑誌でした(笑)。

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時として、「スキを与えない」って必要な時もあります。

何だか漠然と不安、何だか先のことが不安。

その正体のわからない「漠然とした何か」をいつまでも抱え続けること自体を手放すために、あえて、それを一旦置いておき、自分を忙しくさせる。

私の場合は仕事でした。

夫を亡くした1年間は、就活全敗→引きこもり→職業訓練校と徐々に社会復帰していきました。

死別1年後に念願の正社員になり、フルタイム勤務を果たしました。

朝一番で子供を預け、仕事に行き、仕事を覚え、延長保育はお金かかるので、ギリギリでお迎えに行き、子供と一緒にご飯、お風呂、寝かしつけている間に一緒に寝落ち・・・そんなとにかく「こなす」だけの日々は、私には不安を感じるスキを与えてくれませんでした。

毎日毎日必死に働き、1日が終わる。

感情を持つ暇もない。

休日もそう。

とにかく私は、何かと戦うように子供を東京の各所観光スポット的なところに連れていきました。

休日の夜が一番しんどかったな。

一週間全力で走り抜け、最後に自分を痛めつけるように家族のたくさんいる場所にいき、帰ってきては落ち込みながらも疲れるから寝る。。みたいな。

でも、要は一週間で数時間しかそういう時間を持たなかったということなんですよね。

そのうちに仕事に慣れている自分がいました。

漠然とした不安は、形を変えていました。

色々な社会人の基礎的な力をつけてから、私は「時短勤務」という働き方を選択しました。

だから自然と、子供たちも「ママは家にいるもの」ではなく、「ママは働くもの」という日常になりました。

だから、今すごく自由です。

私が出かけるのも

普段お仕事頑張ってるんだもんね。

遊んできな〜。

とかね。そんな感じです。

だから、母子家庭で育っているから、それを「寂しい思いさせてごめんね」と言い続けたら、寂しい子になるだけなんだろうと思うんです。

寂しかったし、苦しかったのはある。

でも、その隙すら与えず働いてきました。、

気がついたら、仕事の面白さに気がついたり、収入が安定することで、心が安定してきました。

不安を抱える時間を持つ時間を、何か夢中にならざるを得ない時間に変えてみる。

それは、夫を亡くしてすぐは難しい。

順序ってあります。

そのタイミングがきたら、自分の器より少しでいいから、超えてみる。

不安な時間を自分に持たせない。

不安な時間があるから不安に思う、という面もあることをお忘れなく。

 

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