節目ってありますね

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<この記事を書いた人>

いつまで落ち込んで、いつから元気になっていくんだろう?

そんなゴールがあったら、とても楽かもしれないし、もう少し頑張れるって思うかもしれません。

でも、こればかりはわからない。

私も、ここから完全に元気になったと確信が持てたという日はなくて、なんとなく、なんですよね。

しかしながら、改めて思うのですが、やっぱり日本の習わしってよくできていると思います。

初七日、四十九日、一周忌、三回忌、七回忌。

私は、ここまで経験積みです。

やっぱりそのあたりで、一旦ぐっと前に進む気がします。

四十九日の納骨は、苦しいながらも夫と引き離されて、いよいよ一人かともう寂しくて仕方なかったように思います。

一周忌はまだまだでしたが、1年経ったんだとただ、そう思いました。

三回忌、七回忌あたりでぐっとトンネルから抜けたかなって思います。

私の場合は、一周忌まではお坊さんを呼ばずにいたので、余計にそうなのかもしれません。

三回忌では、まだまだ泣いていたと思います。

でも、お坊さんを呼んで、お経を初めて読んでいただいて、なんだかほっとしたのを覚えています。夫のいない生活にも慣れてきた頃ですね。

七回忌では、夫のお友達のお坊さんがお経を読んでくれたということもありますが、この時は友達集めてゲラゲラ笑っていました。

お坊さんも、日本の習わしっていうものはよくできているから、それを無視するのは如何なものかと思うとも言っていました。

お経を聞いていると、不思議と走馬灯のように、亡くなってからここまできた日々を振り返るんですよね。

そうしていると、あぁよくここまでやってきたなぁと思い自分を認めてあげる気持ちになるのですね。

以前に受けた自己肯定感の講座では、

他人と比べない。比べるのは過去の自分

と教えてもらいましたが、きっとそういうことなんですよね。

普段は他の人の幸せそうな感じが目に入って仕方がないけれど、お経の時間って、自分と向き合えるそう思います。

初めてお坊さんとお会いした時に、今まできちんしてこなかったことをお話しました。

やっぱりしきたりが今現代にも続いてきているのには意味があるので、これからはきちんとして行きましょうと言われました。

それが故人の為でもあるし、家族のためにもなる。

私は、無宗教ですが、しきたりに則ってやってみて、その意味がなんとなく体で分かる感じはあります。

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