気持ちがごちゃごちゃ…それって自然な事だと思いませんか?

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<この記事を書いた人>

こんな状況ですが、夏休みに少し骨休みに旅行に行ってきます。鉄オタの長男が全ての計画を立てました。私は日々仕事がなんだか忙しく、コロナの事もあり、今年の夏休みは長男に丸投げ。彼が電車好きでもなければ、きっと引きこもりって夏が終わっていたかもしれません。駅では除菌ウエットを配っていました。

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相談に乗る機会が少しずつ増えてきました。

そこで、夫の死別と言う大きな経験は、本当に全ての感覚を一時的に凍結してまうものなんだと感じています。
そして、溶けてゆくのは大抵悲しさだったり、後悔だったりから始まるのね。
私は人と話すことって、その感覚の「良い部分」を少しだけ見つけるスピードを、少しだけ上げる作業の様に思います。
元々ある感覚だったり感情なので、きっかけがあれば思い出したり、蘇る訳です。
ご相談をされる方は大抵
気持ちの整理がつかなくて、何を話したらいいのかわからないのですが、こんな私でもいいのですか?
とか
落ち着いて話ができるかわからないですが、良いですか?
と、おっしゃる方が多い。
私は、それが当然で自然なことだと思っています。
自分もそうだったから。
私は全く問題ない事をお伝えして、それで実際に話すかどうかを決めるのは、ご自身に委ねています。
どちかというと、そのごちゃごちゃした気持ちが自然で、それを整えていくために話すものだと思っているから。
私はカウンセリングの勉強をしたから、気持ちはごちゃごちゃでもいいとわかっていました。
だから、カウンセリングにも抵抗なく入れました。
でも、きちんとして話をしなければいけないと言う、それこそ今まで生きてきた「日常だったやり取り」が、経験値として残っています。
だから、人前で取り乱したらいけないと言う大人としての感覚や、今までの常識が邪魔してしまっているのかもしれません。
でも、厳しい言い方になるかもしれませんが、正直夫を若くして亡くすと言う経験は、今までの常識は意味がなくなってしまう。
一般的の一般から少し外れてくるんですよ。
でも、仲間はいますよ。
日本でもシングルマザーの8%は死別なんですから。
でも、自分が想定していた常識からは外れます。と言うか、私は外れたな、と思いました。
常識って言うものって実は曖昧で、それに沿うとなると生きるのがキツいなと思ったんですよね。

ある意味、囚われない生き方が出来るんだと思うようになりました。

こうでなきゃいけない、こうあるべきは私には当てはまらないんだと。
そう思えば気楽。
取り乱したってなんだって、それは整える為にやっているだけのこと。
それでも抵抗があると思えばやめる、時期を改めると言う選択肢もある。
先日お話しをした方は、お顔を見せるのは難しいということで、お電話でお話しをしました。
自分が1番良い状況を決められたんですね。
そんな感じで、もし話をしたい、でも迷うなら、それも言うだけ言ってみたらいいかもしれません。
自分が今どの程度お話ししたくて、どの程度抵抗があるのか、言えば見えてくるかも知れないから。
自分がごちゃごちゃなのを、ごちゃごちゃだと言うところから始めてみるのもいいかもしれません。
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