あなたの死別体験が、誰かの最期を素晴らしいものにできる。

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<この記事を書いた人>

今日は仕事でした。皆さんご自宅で過ごされた方も多いかと思いますが、私は人の少ない池袋へ。こんな季節外れの雪が降るって、きっと本当に出歩かない事が必要なんだと、神様が後押ししているみたい。それにはむかっていますが(笑)いい仕事ができました。


 

一年前の今頃、うちの父は食道癌ステージ4の闘病生活中でした。

半年の余命宣告をされ、結局10カ月頑張って生き抜きました。

抗がん剤も放射線治療もせず、最後まで食事をする事にこだわり、子供たちとも不器用ながら向き合って和解し、最後は苦しむ事もなく、母に看取られて逝きました。

私は夫を突然亡くした身ですから、余命宣告をされた父の死はまた違う感覚でしたね。

夫の事もあり、父に対して積極的にやりたい事を後押ししましたし、鬱陶しいくらい、父と兄、まぁ、私自身もですが、親子関係のわだかまりを無くすことに躍起になっていたと思います。

ですので、父の死の瞬間、ある種清々しさを感じられる最期を迎えられ、送り出せたように思います。

母が父に対してやるかやらないか迷った時は、私は迷わずやろうと言えたし、少しでも背中を押せたかなと思っています。

ですので、母も父に対してやりきったと思っていて、もうすぐ一周忌ですが、とても元気にしています。

父は最期にこう言いました。

俺の人生間違ってなかったか?

私は泣く事もなく、真っ直ぐ父を見て

間違えていなかった。

この家族がその答えでしょ!

と言いました。

 

父はとても頑固な人で、とても難しい人でした。

でも、それが父だし、私はその娘であることに誇りを持てました。

それもこれも、私はやっぱり夫の死があって、たくさんの後悔ややり残しがあったから、出来たんだと思います。

そうやって、人の死が何かに受け継がれる訳です。

そうすれば、夫の死も浮かばれるというか、夫の死を無駄にしなかった感覚も覚えて、夫に改めて感謝できたんですよね。

旦那さんとやり残した事を、自分の人生の中で、形を変えてでもいいから、何かやり切る事。

それによって、旦那様との思いが少しだけど、昇華されるような感覚を持てます。

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