きっと忘れません

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<この記事を書いた人>

こうしてブログを毎日綴っているので、いろいろなことを思い出そうとして頭を巡らせています。

やっぱり死別直後は、自分がどうしていたのか、断片的にしか思い出せず、何をどうやってきたのかパズルのピースがバラバラに散らばったままです。

最近、そういえば一番最後まで捨てられなかったものを思い出しました。

夫が亡くなった後でも、どうしても捨てられなかったもの。

それは、私のピンクのガラケーでした。

その中には、最後に夫とやりとりしたメール、留守電の声が収められていたものでした。

しばらくして、スマホにしてからも、どうしても処分することができなかったのです。

充電すれば、夫の声が聴こえる。

それが、なんだかお守りのように思えてしばらくすれられませんでした。

結局のところ電池が切れて、それ以来一度も充電をすることがありませんでした。

見るたびに思い出す。それが、彼とのいい思い出ならばよかったのですが(そうだったらきっと充電して声を聴いたと思います)、なぜかため息が出ちゃう。

見るたびにそんなんじゃ思い出がいいものではなくなってしまいそうで、私はなんとなく「もう大丈夫」と思って、携帯ショップへ行って穴を開けてもらいました。

私は、その工程を見ていて、やっと終わったという感じでした。

よくも悪くもなく、事実だけ見届けるといった感じでしょうか。

私は、それ以来、メールはいららないものはどんどん削除することが日課になりました。

写真も極力撮りません。子供たちのへんてこな留守電もすぐに消去です。

でも、はっきりとではないのですが、夫の動いている映像とか、声が脳の裏側で聴こえるんです。これはちゃんと、思い出せる。

あぁこんな感じで、少し声が高い人だったな、と今も思い出しながらブログを書いている次第です。

だから、文明の利器に頼りっぱなしじゃなくて、自分の心、あたまを信じてもいいんじゃないかなって思います。

忘れることは怖いこと?

でも、忘れていいこともあるし、忘れたくないものもあります。

忘れたくないものは、きっと大切に心に残っている。

きっと私は、ずっと彼の声を思い出せると思います。

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