どうやって切り抜けたか

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<この記事を書いた人>

7年経っても、やっぱり当時の記憶というのは曖昧で、おぼろげなものです。

人って、思い出したくないことはきちんとしまっておくようにできているのだと思います。

いくらでも気起きは書き換えらえるし、思い出して苦しくなることはしまっておくのです。

 

でも、時々何か忘れてはいけない気がして、思い出そうとするのです。

やっぱり思い出せないところは思い出せないけれど、辛くて仕方なくて一番ショックだったときのことははっきり覚えていたりします。

 

まぁ、そんなことはやっぱり辛すぎるので、脇に置いておきます。

ただ、今こうしていられることはやっぱりどうにかしてここまで来たわけで、ではどうしたのかということです。

このブログで、ちょこちょこと話していることではあるのですが、とにかく手当たり次第「これかも」ということは手を出してきた。それに尽きると思います。

本もそうですし、セミナーなどもそう、その中で拾えることはすぐに手を出していたように思います。

 

藁をもすがるとはこのことですね。

とにかく、本を読んで、その中で紹介される本もとにかく読むとか、セミナーで気になるワードがあったら調べて次のセミナーにつなげるとかね。

で、結局100%自分の気持ちが晴れることなんてないんです。

その中にいるときはとにかく苦しくて辛い。

でも夢中でもあるので、時間は過ぎていく。

その繰り返しの日々だったように思います。

 

夜になってじっとしていると、あまりいいことが思い浮かばないように、とにかくじっとしているのが怖かった。だからこそ、記憶が曖昧な部分もあるのかも。夢中になっていて子育てをどうしたのか忘れるのと似ているのかも??

でもふと立ち止まると、あれ?と思うのです。

あぁ、あの場所には自分はもういないんだって気がつくのです。

もうそこには戻れないし、違った自分がいるのです。

私たちは黙っていても細胞がどんどん生まれ変わってっいます。それは辛い思いをしたからとかそういうのは全く関係ないですよね。誰でもです。

で、生まれ変わって生まれ変わって、あの時とは違う自分なんです。

それは誰しもそうなんだ。

そうやって私たちは日々生まれ変わっている。

そう思うと、いくらでもやり直せるし、立ち直れる気がしませんんか?

なんでもいいので、夢中になるということ。

私は生きること自体に夢中でした。

 

だからこそ、切り抜けて今があるのです。

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